最新記事
中東情勢

中東危機:シリアの沈黙、隠された動機と戦略

2023年10月20日(金)18時25分
青山弘之(東京外国語大学教授)

しかし、「アラブの春」に伴って発生したシリア内戦によって、多くのパレスチナ人が戦火に巻き込まれ、その数は減少したとされている。UNRWAの推計によると、2011年以降、パレスチナ人12万人が隣国のレバノンやヨルダンなどに逃れた。また、シリアにとどまったパレスチナ人もそのほとんどが、少なくとも1度は国内での避難を余儀なくされたとされている。

なお、周知の通り、シリアは現在、シリア政府、「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放機構)が主導する反体制派、トルコが「分離主義テロリスト」とみなすクルド民族主義組織の民主統一党(PYD)の支配地によって分断されるとともに、トルコが北部、米主導の有志連合が南東部を占領、各地にロシア軍、「イランの民兵」(後述)、トルコ軍、友進連合が駐留する状況下にある。

aoyama1020image1.jpeg

2023年10月現在のシリアの勢力図

こうしたなか、シリア政府の支配下にない地域、具体的にはヌスラ戦線の支配地とトルコの占領地には、1,635世帯のパレスチナ人が居住しているとされる。彼らは、ヤルムーク・キャンプ、アレッポ市郊外のハンダラート・キャンプなどから逃れてきた国内避難民(IDPs)で、ヌスラ戦線支配下のイドリブ県(カッリー町近郊のIDPsキャンプ、アティマ村、アクラバート村、ダイル・バッルート村、イドリブ市、サルマダー市)、トルコ占領下のアレッポ県のアアザーズ市、アフリーン市、ジャンディールス町などに居住している。

抵抗枢軸の盟友だったシリアとハマース

今回のイスラエルによるガザ地区への激しい攻撃のきっかけを作ったハマースとシリアの関係に目を向けると、両者は長らく抵抗枢軸として対イスラエル抵抗闘争において共闘を続けてきた。抵抗枢軸とは、ハマースなどの在シリア・パレスチナ諸派、レバノンのヒズブッラー、シリア、そしてイランからなる陣営の自称である。そのなかにあって、ハマースは、最高意思決定機関である政治局はダマスカス県南部のヤルムーク・キャンプに構え、シリアの支援のもとにイスラエルに対する武装闘争を続けてきた。

対イスラエル抵抗闘争、とりわけ武力を伴う戦争や紛争において、シリアはこれまでたびたび戦略の変更を余儀なくされてきた。イスラエルが建国を宣言した1947年から、キャンプ・デービッド合意をもってエジプトとイスラエルが和平交渉をスタートする1978年までの時期において、エジプトとシリアによる二正面作戦が基本戦略だった。エジプトがイスラエルとの紛争から離脱すると、シリアはソビエト連邦の支援のもと、単独でイスラエルに対峙することを前提とした戦略的均衡と呼ばれる戦略へとシフトした。

1989年の東西冷戦終結と1991年のソビエト連邦の崩壊で、戦略的均衡の継続が不可能となったシリアが採用した戦略が、抵抗枢軸としてイスラエルに対峙することだった。これは、軍事的に優位に立つイスラエルと直接戦火を交えることを避けつつ、ヒズブッラー、ハマースといった非国家主体に武装闘争をアウトソーシングする一方で、イランとともにこれらの組織に物的支援、外交面でのサポートを行うことを特徴としていた。これにより、シリアは、ヒズブッラーやハマースの代弁者として存在感を増すとともに、抵抗枢軸は2006年にヒズブッラーとイスラエルとの間で勃発したレバノン紛争においてイスラエルに対して善戦し、同国にとっての物理的(軍事的)な脅威となった。

「アラブの春」という転機

イスラエルに対する劣勢を克服するかに見えたシリアとハマース、そして抵抗枢軸だったが、転機が訪れた。2010年代前半にアラブ世界を席巻した「アラブの春」である。

2011年3月に「アラブの春」がシリアに波及し、各地で散発的な抗議デモが発生すると、政府はこれを過剰に弾圧、これが反体制派の武装化と暴力の応酬を誘発し、シリア内戦と呼ばれることになる混乱をもたらした。この混乱は、とりわけ欧米諸国や日本においては、自由と尊厳を求め、独裁体制の打倒をめざす民衆の革命運動として捉えられ、抗議デモや反体制派を弾圧するシリア政府は内外で激しい非難を浴びた。

ヨルダン川西岸地区やガザ地区で暮らすパレスチナ人も例外ではなく、多くがシリア政府に批判的な姿勢をとった。こうしたなか、ハマースはパレスチナの世論に配慮するかたちで、長年共闘関係にあったシリア政府と絶縁し、政治局をシリアから撤収した。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

日・EUなどとの貿易協定「解消」も、関税裁判敗訴な

ビジネス

米経済活動、大半でほぼ変化なし 物価上昇は緩やか=

ビジネス

米7月求人件数、17.6万件減 失業者数が求人数を

ワールド

プーチン氏「良識働けば協議で戦争終結」、 交渉不調
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 5
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 6
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害…
  • 7
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 8
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 9
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中