最新記事

理系人材

「科学技術人材不足」は、作られた危機だった? その背景は......

2019年10月9日(水)17時00分
秋山文野

実際には、STEM危機が叫ばれ、人材育成が過多になれば得をするのは企業だ。供給の方が多ければ、高いサラリーを払ったり、企業内の教育プログラムを用意したり、何十年にも渡る安定した雇用を保証しなくても市場から必要な人材を必要なときに選べばよい。

記事の結論はシンプルだ。STEM人材不足の神話に乗じて労働市場から良いとこ取りするようなまねをするべきではない。企業は安定した職と継続的なスキル向上の機会を提供し、正当な給与を払えというものだ。この結論に反対する人はおそらくいないだろう。

移民排斥論者が、外国人材はいらないと主張

だが、現在になってIEEE Spectrum誌の報道の余波を調べてみると、記事掲載から6年経っても「議論になった」といわれる理由が見えてくる。STEM人材の中に含まれる、「H-1B」という専門知識と技能を持つ人のためのビザを取得して米国で働いている外国人の問題だ。STEMクライシスの記事で参考文献として挙げられているEPIの調査には、H-1Bビザに関連する外国人労働者の実態を調査したものがある。

H-1Bはいわば高度外国人人材で必ずしも理系を意味しないが、最も多いのは理系のインド人だ。最近でも、インドのエコノミック・タイムズ紙の記事では、H-1Bビザの取得者の70パーセントがインド系だと報じられた

STEM人材危機が神話であるという説と、外国人排斥を結びつける主張がある。STEM教育を受けた米国人で米国内の需要は満たせるのだから、外国人材はいらないという主張だ。

2019年4月、PNAS(米国科学アカデミー紀要)に、米国でコンピューターサイエンス分野の教育を受けたアメリカ人大学生は、中国、インド、ロシアの学生に比して最もスキルが高いという調査が公表された。移民排斥論者は、こうした文献を利用して「だから外国人はいらない」と主張する。トランプ政権の元で、H-1Bビザには発給数や手続き上の制限が課されているが、アトランティック誌は、発給されたH-1Bが更新されず、大学研究者としての職を追われて帰国せざるを得なかった人のケースを報じた。

では、H-1Bビザによる移民を制限すれば、米国内のSTEMワーカーに仕事が戻るのか。2018年4月に公表されたデータでは、インドのテック系企業トップ7社のビザ発給数は2016年度から2017年度で9.5パーセント減となった。インド大手のITアウトソーシング企業Infosysでは49パーセントの大幅減となったという。だがインドIT企業による業界団体NASSCOMは、「IT系の開発業務を米国外に移すオフショア開発への移行か、イノベーションを遅らせるかの検討を迫られている」とコメントしている。米国内にIT人材を呼べないならば海外に開発拠点を移そうという発想が出てきているのだ。これは、IEEE Spectrumが主張していた米国内のSTEM雇用の問題解消にすぐにはつながらないのではないだろうか。

日本では理系分野の人材に需給ギャップはあるのか?

ここまでアメリカの事情を見てきたが、人手不足が叫ばれる日本では理系分野の人材に需給ギャップはあるのだろうか。少なくともIT分野に関しては、経済産業省が「IT人材の不足は、現状約17万人から2030年には約79万人に拡大すると予測され、今後ますます深刻化。」と発表している。だがその中身では「デジタル技術に対応した IT 人材(先端 IT 人材)は需要が供給を上回る一方で、従来型の需要に対応した IT 人材(従来型 IT 人材)は、供給が需要を上回る状況を生み出す可能性もある。」(『- IT 人材需給に関する調査 -調査報告書』みずほ情報総研株式会社より)といい、IT技術を持つ人材は「先端人材」と「従来型人材」に分けられ、先端人材では人手不足でも従来型は人あまり、ということも起きるというのだ。

先端人材とは、「AI、IoT、ビッグデータ等の先端 IT 技術の利活用に向けた需要」に対応でき、「第4次産業革命に対応した新しいビジネスの担い手」だという。「従来型 IT 人材から先端 IT 人材へのスキル転換が促進されれば、先端 IT 人材の需給ギャップが緩和される」との記述があることから、スキル転換の促進、支援が考慮されているとはいえる。ただ、スキル転換に必要なのはつまるところIEEE Spectrumの結論にある雇用者による「継続的なスキル向上の機会を提供」になるのではないだろうか。

『The STEM Crisis Is a Myth』の記事が掲載されてから6年経っても、また日米で理系人材を巡る状況が異なるとしても、今でも読む価値のある記事ではないかと思われる。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:戦闘で労働力不足悪化のロシア、インドに照

ワールド

アングル:フロリダよりパリのディズニーへ、カナダ人

ビジネス

NY外為市場=ドル横ばい、米CPI受け 円は週間で

ビジネス

米国株式市場=3指数が週間で下落、AI巡る懸念継続
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:習近平独裁の未来
特集:習近平独裁の未来
2026年2月17日号(2/10発売)

軍ナンバー2の粛清は強権体制の揺らぎか、「スマート独裁」の強化の始まりか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発される中国のスパイ、今度はギリシャで御用
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    【銘柄】マイクロソフトの株価が暴落...「AI懸念」でソフトウェア株総崩れの中、投資マネーの新潮流は?
  • 4
    「ヒンメルならそうした」...コスプレイヤーが消火活…
  • 5
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 6
    【インタビュー】「4回転の神」イリヤ・マリニンが語…
  • 7
    川崎が「次世代都市モデルの世界的ベンチマーク」に─…
  • 8
    機内の通路を這い回る男性客...閉ざされた空間での「…
  • 9
    それで街を歩いて大丈夫? 米モデル、「目のやり場に…
  • 10
    中国の砂漠で発見された謎の物体、その正体は「ミサ…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 4
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 5
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 6
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発…
  • 7
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...…
  • 8
    がんは何を食べて生き延びるのか?...「ブドウ糖」の…
  • 9
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日…
  • 10
    50歳には「まったく見えない」...信じられないレベル…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 6
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 7
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 8
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 9
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 10
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中