最新記事

北朝鮮

北朝鮮国民にとって最も苦しくて辛い「人糞集め」

2019年1月16日(水)11時40分
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト) ※デイリーNKジャパンより転載

脱北者さえ「死んでもやりたくない」と語るのが堆肥戦闘(画像は2009年4月撮影の北朝鮮) Nir Elias-REUTERS

<人糞を集める北朝鮮の恒例行事「堆肥戦闘」では、ノルマが設定されているために人糞が商品として市場で取引され、人糞を奪い合うトラブルまで起きる>

北朝鮮で、1年で最も苦しくて辛いと言われる恒例行事が始まっている。毎年1月から2月に行われる堆肥戦闘、すなわち「人糞集め」だ。絶対的に不足している肥料を補うために行われるのだが、これについて日本に在住する脱北者のSさんは次のように語った。

「北朝鮮で何十年も厳しい生活を体験したので、日本ではどんなことでもやってのける自信はある。しかし、堆肥戦闘だけは死んでも二度とやりたくない」

堆肥戦闘は、作業として苦しいだけではない。一昨年11月に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)兵士1人が、板門店の共同警備区域(JSA)から韓国側に亡命した。兵士は追手の銃撃を浴び、瀕死の重傷を負ったが、韓国側の医療チームによる懸命な治療によって、一命を取りとめた。

兵士は二度の手術を受けたが、衝撃的な事実が明らかになる。兵士の腸内から、手術した医師が「見たことがない」と言うほどの大量の寄生虫が出てきたのだ。兵士がそうなってしまった原因の一つがまさに堆肥戦闘にあった。

参考記事:必死の医療陣、巨大な寄生虫...亡命兵士「手術動画」が北朝鮮国民に与える衝撃

堆肥戦闘ではノルマが設定されるため、人々は正月早々、人糞を求めてさまよい歩く。ノルマを達成できなければペナルティーが待っているため人糞には値段が付き、商品として市場で取引される。さらに、人糞を巡るトラブルさえも起きる。

別の脱北者のIさんは、「集めた人糞は、奪われないよう死守しなければならない(笑)。人のクソの取り合いで喧嘩したことも一度や二度ではない」と過去の苦労を苦笑いで振り返った。

一方、一部では喜んで堆肥戦闘に参加するという人が現れたと、平安南道(ピョンアンナムド)の金城湖(クムソンホ)周辺に住むデイリーNK内部情報筋が伝える。

参考記事:「臭い、汚い、キツい」人糞集めに熱心な北朝鮮国民、そのワケは?

背景には金正恩党委員長による農業政策の変化がある。金正恩氏は2012年、協同農場の農地を農場員(農民)に任せ、収穫の一定割合だけを国家に納めさせ、残りは個人の取り分とする「圃田担当制」を導入した。いわゆるインセンティブ制度だ。この政策によって収穫が大幅に増えた農村もあるという。そうした農村では来年の収穫をさらに増やすために、農民たちは肥料となる人糞の確保に汗を流しているわけだ。

それでも「圃田担当制」は、未だに一部での実施に留まっているようだ。

農民達が豊かになることは好ましいことだ。しかし自発的に農業を活性化させ豊かになればなるほど、国家の統制が効かなくなる可能性がある。そうしたことから、北朝鮮当局も様子を見ながら実験的に実施しているようだ。農民達の影響力が強くなれば、いずれ金正恩氏も「人糞を集めてはいけません」という指示を出すかもしれない。

[筆者]
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト)
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)、『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)、『北朝鮮ポップスの世界』(共著、花伝社)など。近著に『脱北者が明かす北朝鮮』(宝島社)。

※当記事は「デイリーNKジャパン」からの転載記事です。
dailynklogo150.jpg

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 2
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 3
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 4
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 5
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 6
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 9
    「体が資本」を企業文化に──100年企業・尾崎建設が挑…
  • 10
    トランプが日中の「喧嘩」に口を挟まないもっともな…
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 8
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中