最新記事

医療援助

アイラブユー、神様──『国境なき医師団』を見に行く(ハイチ編11最終回)

2016年8月17日(水)17時30分
いとうせいこう

 すると、とても真面目な顔になってリシャーは答えた。もともとハイチの大学でジャーナリズムを学び、卒業後に様々なメディアや国際機関に参加したのだという。そうしているうち、インターネットでMSFの公募を知り、二ヶ月連絡を待って面接を受けたのだそうだ。

 「満足していますか?」
 そう聞くと、リシャーは自分の足元を見た。

 「他の組織や企業ならもっと稼ぐでしょう。でもここにはジャーナリストとしての満足感があります。誰よりも早く、困難なところに駆けつけて救援をするのがMSFですから」
 そう言ってから、リシャーは俺を見た。

 「でも、十年後はどうでしょう。親も子供もいるでしょうから。その時、この仕事での生活を自分が選ぶかどうか」

 続けてリシャーはMSFの四駆を指さした。

 「セイコー、ああいうランドクルーザーを、日本のジャーナリストは持ってますか?」
 問いの意味がわからなかった。


「リッチな人の話じゃありません。ジャーナリストです。私たちの国のジャーナリストではランドクルーザーはとても持てない」

 俺は別な理由で沈黙を続けた。ジャーナリストは金のためにやる仕事ではないという世界的常識が、改めて心にしみたからだった。そして途上国でそれを貫くのはとても大変なことだということも。

 俺は結局、リシャーの問いに答えることが出来ないまま石段を離れた。

コレラ緊急対策センター

 性暴力被害専門クリニックのアンジーたちが滞在する海外宿舎カイフルリに寄って昼食をいただき、少し休んでコレラ緊急対策センターへ足を伸ばした。

 黒い鉄扉を開けてもらって中に入ると、すぐに足の裏に殺菌剤をかけてもらった。イギリスから来たプロジェクト・コーディネーターのスチュアート・ガーマンがそこのリーダーで、俺たちを案内してくれた。ひげを生やし、金色の長髪を後ろでくくっている。

 行けども行けどもテントだった。まだコレラ発症の時期でないため、どこにも患者はいなかった。おかげでその間に、衛生的な啓蒙活動に力を入れているそうだ。いったんピークになってしまえば一日60人が駆け込むことになるのだとスチュアートは言った。

 簡素な階段を上って、壁のない半野外の空間へ移動した。木材とトタンとビニールで出来ているその場所が、コレラ緊急対策センターのリーダーである彼の事務所だった。あまりの質素さに目を丸くすると、スチュアートは両手を広げて周囲を見回し、
 「素晴らしいエアコンだよ」
 と言った。熱風が吹いていた。

 その砂だらけの床の上の事務机で、若きリーダーはたったひとつのノートブックパソコンに向かい、話の途中でも作業を続けた。

 ハイチ全土にコレラはひそんでおり、再び大規模感染が起きれば首都ポルトー・プランスにある国の対策センターだけではとても足りなかった。しかし一時は注目の集まったハイチのコレラに対する国際社会からの義援金は明らかに減り、国や他のNGOは活動がしにくくなっているのが現状なのだそうだ。それでも、自国による対応が可能になるよう、MSFは地方行政や現地NGOへの移行を通して、地域分散型の体制作りをしているというのだった。

 また、対策センターではコレラのみならず、他の感染症、干ばつによる栄養失調、建築現場などでの事故にも受け入れを広げていると聞いた。それでも雨季でコレラがピークになれば感染を防ぐため、専門的に隔離していくしかなくなるだろう。

 「ハイチでは国民の半分が不潔な水を使い、飲んでいる。それがコレラ発症の大きな原因で、これはつまり国全体の問題だよ」

 ミッションがわずか一年だというスチュアートには、焦っても焦りきれない根本的な問題だった。
 再び、テントのあちこちをさらにくわしく回ることになった。

 静かで落ち着いた敷地の一角に、「Morgue(遺体安置所)」と書かれた小さな一室があった。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

FRB理事候補ミラン氏、政権からの利下げ圧力を否定

ワールド

ウクライナ安全保証、26カ国が部隊派遣確約 米国の

ビジネス

米ISM非製造業指数、8月は52.0に上昇 雇用は

ビジネス

米新規失業保険申請、予想以上に増加 労働市場の軟化
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害」でも健康長寿な「100歳超えの人々」の秘密
  • 4
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 7
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 8
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 9
    SNSで拡散されたトランプ死亡説、本人は完全否定する…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を呼びかけ ライオンのエサに
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中