最新記事

歴史

ロシアの介入はないと無責任な約束をしたドイツ――第一次世界大戦史(2)

2016年7月9日(土)11時03分

 その日、会議の後、外相サゾノフはセルビアの駐ロシア公使に、不必要な挑発は避けるよう助言するととともに、「ロシアの支援を非公式に当てにしてよい」と伝える。

 ただ、具体的な支援策についてはフランスと相談の上、ツァーが決めることだと釘を刺した。セルビア公使はその旨を本国政府に伝えたが、その後、ロシアの大臣会議では「動員まで含む積極策」を取ることが決まったと追加で打電した。セルビアのロシア駐在武官からも公使に、ロシアは総動員間近との情報が伝えられ、それはすぐに本国政府に伝えられる。

 ロシアの支援の約束、なかでも動員の決定は、セルビア側を大いに勇気づけてしまう。この決定は、現在ではロシアがセルビアに渡した「白紙小切手」とも呼ばれている。

 翌二五日、臨席したロシアの大臣会議で、ツァーは部分動員を含む強硬策を認めた。七月二四日の段階でツァーは「戦争は世界にとって災厄であり、一度起こったら止めがたい」と考えていた。ただ、彼は、独露墺の三皇帝の中でも一番若い四六歳であったが、家庭生活を好み、国を率いる知性もエネルギーも欠いていて、優柔不断であった。現に、かつて日露戦争前の対日交渉でも、一度決めたことに条件をつけるなど揺れ動き、現場を混乱させている。それは、七月危機でも同様であった。

 こうして決まったロシアの部分動員とはいかなるものであったのだろうか。ドイツやフランスと違い、ロシアでは動員令を下してから軍事行動が可能になるまで少なくとも一五日はかかる。ロシアが動員を急いだ背景には、このような事情もあった。ただ、ロシアの部分動員の決定は不可解であった。ドイツを刺激しないようドイツに隣接するワルシャワ軍管区での動員は避けた。これならば総動員ではないので、サゾノフ外相は独墺に手を引くよう説得するには十分と考えたのである。しかし、オーストリアのみに対する動員であるからといって、その同盟国であるドイツが対応しないと考えるのは甘すぎる。

 さらに技術的にも問題があった。ロシアには総動員計画はあったが、部分動員の計画は用意されておらず、軍管区をまたいでの予備役兵(軍務を終えて社会に戻っているが、非常時には召集を受ける存在)の召集や複雑な鉄道輸送に効率的に対処する能力もないので、混乱は目に見えていた。そのため、実際の部分動員の下令は引き延ばされていく。

 しかし、動員前の準備措置は早々ととられた。諸外国の関係者は、その措置を動員の開始と誤解した。一方、ドイツはこの段階では戦争の局地化を期待していたため、軍事的準備への着手は控えていた。

※シリーズ第3回:優柔不断なツァーは追加の電報で気が変わった――第一次世界大戦史(3)


『第一次世界大戦史――諷刺画とともに見る指導者たち』
 飯倉 章 著
 中公新書


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

日本との関税協議「率直かつ建設的」、米財務省が声明

ワールド

アングル:留学生に広がる不安、ビザ取り消しに直面す

ワールド

トランプ政権、予算教書を公表 国防以外で1630億

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、堅調な雇用統計受け下げ幅縮
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 2
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見...「ペットとの温かい絆」とは言えない事情が
  • 3
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 4
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 5
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 6
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 7
    宇宙からしか見えない日食、NASAの観測衛星が撮影に…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    なぜ運動で寿命が延びるのか?...ホルミシスと「タン…
  • 10
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 10
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中