最新記事
建築史

オリンピックと建築家

2015年12月24日(木)12時12分
藤森照信(東京大学名誉教授) ※アステイオン83より転載

 もう一つ内田の誤算は、舞姫問題だった。岸田が帰国すると、千葉で新婚生活を送る岸田家のドアを、ある朝、若きドイツ人女性が叩いた。窮した岸田は内田に相談し、内田は、中堅建設会社の社長を呼び、金銭を含め事後処理を依頼した。このシーンに立ち会った建築史家の関野克が私に語ったところによると、「この時以後、岸田さんは人が変わり、それまで意欲を持っていたデザインへの関心を失い、国の仕事を割り振る役に回るようになった」。

 岸田が降りた後、誰がオリンピック計画を担当することになったのか。当時すでに名を成していた者や岸田世代の面々が思い浮かぶが、意外にも東京市(今の都)の建築家たちに任される。意外に思うのは、東京市の役人として中小の公共建築の設計や維持管理に日々を送る建築家に、客観的に見てオリンピックの主会場を手掛けるほどの力があるとは思えないからだ。でも、建築家の業(ごう)で、やってみたい、出来るかもしれない、と思ってしまう。そして生まれた案を見ると、性能は満たしているが、配置といいデザインといい凡庸でしかない。

 凡庸な計画は、幸い戦雲により実現には至らなかった。

 続いて第二次世界大戦があり、日本は負け、そして復興し、昭和三九年の東京オリンピック開催が決まる。目的は明確で、敗戦国日本の再生を世界にアピールすること。正確にいうと、敗戦前の状態まで盛り返したことを証すこと。建築や都市計画をリードするのは、二四年前の幻の東京オリンピックに若手として加わった面々である。

 建築・都市計画関係を決める委員会は、岸田日出刀を委員長に、副委員長は高山英華(都市計画)と中山克己(民間建築家)が就き、委員には建設省(現・国土交通省)、文部省(オリンピック所轄)、東京都庁の役人、さらに学識経験者が加わる。実際に決めて動かすのは、岸田、高山、中山の三人。

 一番の難題は敷地で、室内競技場を、当時米軍の住宅地として使われていた旧代々木練兵場に作る計画を立てたはいいものの、敷地に利害を持つ米軍、自衛隊、外務省、大蔵省、建設省、東京都さらにはNHKまで加わって、スッタモンダを繰り返す。そして米軍は全面移転、跡地に主競技場と選手村、ただし競技場は三つを二つに減、と決まった。その後になって、高山の回想によると、

「選手村の移転の費用を建設相が出さないと言っている時にNHKの前田義徳会長が、NHKが金出すからあそこの一角よこせ、と来たんだよ」。

 で、二つの競技場(プールと卓球場)の横にNHKが移ってくることに決まった。

 米軍移転に始まりNHKの急な転入まで、土地と費用を巡る一件は利害関係者にとって最大の関心事であり、そうしたややこしい問題について高山に聞くと、「これ以上は話せません」と答えるのが常だった。「死者が出ますから」とも言った。

 敷地が決まると、次は室内競技場。誰に設計を任せるのか。こちらは土地問題に比べ利害の総量が少ないから死者の出るおそれはない。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

再送-トランプ大統領、金利据え置いたパウエルFRB

ワールド

キーウ空爆で8人死亡、88人負傷 子どもの負傷一晩

ビジネス

再送関税妥結評価も見極め継続、日銀総裁「政策後手に

ワールド

ミャンマー、非常事態宣言解除 体制変更も軍政トップ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ関税15%の衝撃
特集:トランプ関税15%の衝撃
2025年8月 5日号(7/29発売)

例外的に低い日本への税率は同盟国への配慮か、ディールの罠か

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから送られてきた「悪夢の光景」に女性戦慄 「這いずり回る姿に衝撃...」
  • 3
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目にした「驚きの光景」にSNSでは爆笑と共感の嵐
  • 4
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 5
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 6
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 7
    一帯に轟く爆発音...空を横切り、ロシア重要施設に突…
  • 8
    M8.8の巨大地震、カムチャツカ沖で発生...1952年以来…
  • 9
    街中に濁流がなだれ込む...30人以上の死者を出した中…
  • 10
    「自衛しなさすぎ...」iPhone利用者は「詐欺に引っか…
  • 1
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 2
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの習慣で脳が目覚める「セロ活」生活のすすめ
  • 3
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜つくられる
  • 4
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
  • 5
    航空機パイロットはなぜ乗員乗客を道連れに「無理心…
  • 6
    中国が強行する「人類史上最大」ダム建設...生態系や…
  • 7
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから…
  • 8
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 9
    「様子がおかしい...」ホテルの窓から見える「不安す…
  • 10
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 4
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 5
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの…
  • 6
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは…
  • 7
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 10
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中