最新記事

ビルマ

政治犯釈放でも遠のく民主化

民主化運動はもはや恐れるに足らず。政権維持に自信をもったビルマ政府は、虎視眈々と経済制裁解除を狙っている

2011年11月18日(金)14時26分
山田敏弘(本誌記者)

宣伝工作 政治犯の釈放は格好の対外アピールになる(10月12日) Soe Zeya Tun-Reuters

 ノーベル平和賞受賞者でもあるビルマ(ミャンマー)の民主活動家アウン・サン・スー・チーは、ほっと胸をなで下ろしているだろう。

 ビルマのテイン・セイン大統領は先週、政治犯を含む受刑者約6300人の恩赦による釈放を開始した。88年から今年3月までこの国を支配してきた軍事政権は、民主活動家や僧侶、ジャーナリスト、弁護士などを次々と投獄。今も1000人近くの政治犯が服役中とされるが、今回のように100人単位で釈放したのは初めてのことだ。

 スー・チーは「政治犯の釈放に本当に感謝している」と語った。だが、彼女がほっとしている理由はそれだけではないだろう。スー・チーはこれまで、欧米に対し、一貫して軍政への経済制裁を続けるよう働き掛けてきた。もちろんビルマ民主化のためだが、その陰で国民は重い負担を強いられてきた。しかし政治犯の釈放が実現したのは、経済制裁の影響だとみられている。

 アメリカ政府は97年以降ビルマへの経済制裁を段階的に強化してきた。だが天然資源を牛耳る政府系企業が中国やタイ、ロシアとのビジネスを続けたため、国家財政が大打撃を受けることはなかった。

 その一方で、国民の暮らしは困窮してきた。アメリカの輸入制限のため、国内に400あった衣料品工場の大部分が閉鎖に追い込まれ、10万人が失業したとされる。貧困生活を送る国民は数百万人に上るという。

 反体制派の中には、制裁にこだわるスー・チーの姿勢に批判的な人も少なくない。スー・チーの元側近で投獄されたこともある女性活動家は、スー・チー本人に直接、経済制裁は国民を苦しめるだけだと何度も訴えたという。「彼女は国民の窮状を知っていた」と、この女性活動家は本誌に語った。「それでも彼女は『それは嘘だ。国民はもっと倹約しなければならない』と言って譲らなかった」

中国依存を解消したい

 だがスー・チーのやり方は完全な間違いではなかったらしい。今回テイン・セイン大統領が政治犯釈放を決めたのは、経済制裁解除への狙いからだ。

 経済活動の大部分を中国に依存しているビルマ政府は、中国への一極依存状態を解消し、経済が好調な東南アジアの周辺諸国との関係を改善して成長につなげたいと考えている。テイン・セインが最近、環境汚染で多くの国民から反対された中国との水力発電用ダムの建設中断を決定したのも、そういうメッセージだとみる専門家は多い。

 最も厳しい制裁を科しているアメリカのオバマ大統領は、3年前の就任時に対ビルマ政策を見直すと公言。実際、これまで政府高官と何度も直接的な対話を続けてきた。アメリカは昨年の総選挙とスー・チーの軟禁解除、今年3月の民政移管というビルマ政府の変化をある程度評価してきた。

 ただ、経済制裁解除の大きな条件が政治犯の釈放だった。米議会は9月、政治犯拘束などを根拠にビルマへの経済制裁を1年間延長したばかりだ。

 今後さらに政治犯の釈放人数が増えることで、欧米による経済制裁の解除はより現実味を増すだろう。ただ、民主活動家の多くはビルマ政府が軍政時代から基本的に何も変わっていないと指摘している。

 08年に制定された新憲法は、軍関係者が議会での影響力や政府の重要ポストを独占できるように定めており、スー・チー率いる旧最大野党・国民民主連盟(NLD)は政府の命令で解党された。もはやビルマ政府にとって、政権維持や民主化活動は懸念材料ではない。

 やっと主張が実を結び始めたかのようにみえるスー・チーだが、政治活動は制限されている。その一方で、政府は経済制裁解除へと一直線に向かっている。この国が本当に民主化を達成するのは、まだ難しいだろう。

[2011年10月26日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英生産者物価上昇率、6月は2年ぶりの高水準

ワールド

ロシア貿易相手国への制裁、米国民の6割超が賛成=世

ワールド

韓国の造船世界最大手、米国需要を取り込むため関連会

ワールド

中国、サウジに通商分野の連携強化要請
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 3
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪悪感も中毒も断ち切る「2つの習慣」
  • 4
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 5
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 6
    「美しく、恐ろしい...」アメリカを襲った大型ハリケ…
  • 7
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 8
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 9
    「どんな知能してるんだ」「自分の家かよ...」屋内に…
  • 10
    イタリアの「オーバーツーリズム」が止まらない...草…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 10
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中