最新記事

ロシア

美人スパイの華麗なる転身

アメリカにひと泡吹かせた危険でセクシーな美女が、元スパイだらけのロシア政府の広告塔として大活躍

2011年3月8日(火)17時29分
オーエン・マシューズ(モスクワ支局長)、アンナ・ネムツォーワ(モスクワ)

美人ではないが 推定スリーサイズから「エージェント90・60・90」と呼ばれるチャップマン(「若き親衛隊」の大会で演説の順番を待つ) Alexander Natruskin-Reuters

 昨年6月にFBI(米連邦捜査局)に逮捕され、7月にアメリカを追放されてから半年余り。赤毛のロシア人スパイ、アンナ・チャップマンはいまロシアで最もホットな存在だ。

 男性誌でピストル片手にセミヌードを披露したかと思えば、ピチピチの軍服姿でドミトリー・メドベージェフ大統領から勲章を受け取り、テレビにも多数出演。演技に挑戦してみたり、『世界のミステリー』という番組では司会を務めている。

 1月末には「アンナ・チャップマン」という名前が商標登録された。「アンナ・チャップマン・ウオツカ」や「アンナ・チャップマン・ウオッチ」といった商品が店頭に並び始めるのも時間の問題だろう。

 チャップマンは決してあか抜けた美人ではない。髪形はボリュームがあり過ぎるし、服からブラジャーのひもがはみ出ていたり、ペラペラのイブニングドレスを着たりする。テレビでのインパクトもいまひとつだ。

 それでもロシア人が彼女に夢中なのは、チャップマンが「女スパイ」のイメージを巧妙に体現しているからだ。「彼女は危険でセクシーな美女という人々の妄想を体現している。いわば女性版ジェームズ・ボンドの実物だ」と、チャップマンのグラビアを掲載したマキシム誌(ロシア版)のイリヤ・ベズーグリー編集長は言う。

「それに多くのロシア人は、彼女がアメリカ人にひと泡吹かせてやったことを気に入っている。めったにない痛快劇だ」

秘密警察のFSBも色っぽく

 チャップマンの飽くなき自己宣伝欲を誰もが快く思っているわけではない。「根強い共産主義者たちは、彼女が男性誌の表紙を飾ったのを見て衝撃を受け、不快感を覚えた」と、ベズーグリーは言う。とはいえ批判派も、彼女が自分を売り込む天才であることは認めざるを得ない。

 チャップマンの真の「功績」は、ロシア連邦保安局(FSB)にセクシーなイメージを与えたことだ。FSBといえば、ソ連時代の秘密警察KGB(国家保安委員会)の後継組織。ところがロシアのタブロイド紙はチャップマンを推定のスリーサイズから「エージェント90─60─90」と呼び、その経歴を華々しく書き立てている。

 そんな「チャップマン・ブーム」を、元スパイだらけのロシア政府が見落とすはずはない。チャップマンは昨年12月、与党・統一ロシアの青年組織「若き親衛隊」の幹部に就任した。ウラジーミル・プーチン首相がつくった組織で、メンバーはジャーナリストや野党議員への嫌がらせに加担したとされる。

 政治家に転身する話もある。チャップマンはモスクワ郊外にロシア版シリコンバレーを建設する計画にも関わっている。メドベージェフ大統領が肝煎りで進めているプロジェクトだ。

 つまりチャップマンは、現体制のマスコットになった。「チャップマン・ブランドの人気が高まれば、ロシアのイメージも高まる」と、統一ロシアのセルゲイ・マルコフ下院議員は言う。

 彼女の次なる任務は、iPhoneのアプリ「ポーカー・ウィズ・アンナ・チャップマン」の発売(1ドル99セント)だ。高得点者にはフェースブックでチャップマンを友達に追加できる「賞」も検討されているという。

 プーチンとチャップマンという世界一有名なロシア人2人が共に元スパイであることは、現在のロシアで主導権を握っているのは誰なのかを雄弁に物語っている。もちろんKGBが「死後」20年で驚くべきイメージアップに成功したことも。

 より簡単に言うと、「アンナ・チャップマンの魅力とは、失敗を成功に変えたという物語だ」と、ベズーグリーは言う。それはまさにロシア人が信じたくて仕方がないおとぎ話だ。

[2011年2月23日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ米政権、電力施設整備の取り組み加速 AI向

ビジネス

日銀、保有ETFの売却開始を決定 金利据え置きには

ワールド

米国、インドへの関税緩和の可能性=印主席経済顧問

ワールド

自公立党首が会談、給付付き税額控除の協議体構築で合
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 5
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 8
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 9
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 10
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 8
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 5
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中