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レバノン親米派の勝利に浮かれるな

アメリカが好かれたのではなく、イランのアハマディネジャドが嫌われただけかも

2009年6月9日(火)17時15分
クリストファー・ディッキー(中東総局長)

大きな少数派 レバノン総選挙で親欧米の与党連合勝利を祝うキリスト教徒たち(選挙結果が発表された6月8日、ベイルートで) Hussam Shbaro-Reuters

 バラク・オバマ米大統領は、6月8日のレバノンでの出来事を思って思わず笑顔になるかもしれない。これまで長い間、他のどんなアメリカ大統領にも望めなかった幸運が訪れた。

 この日、前日に行われた国民議会選挙(総選挙)の結果が発表され、親欧米の与党連合「3月14日連合」が勝利。しかも、イランのマフムード・アハマディネジャド大統領が公に支援していた候補者たちは屈辱的な敗北を喫した。この選挙結果は、イラン国民がその意味を理解するにつれ、6月12日のイラン大統領選でアハマディネジャドの再選を阻む逆風にさえなるかもしれない。

 もし選挙結果が逆であれば、大変なことになっていた。多くのアナリストは、親シリア・イランの野党連合が大勝すると予想していた。野党連合の中核は、元々イランが設立し、その後も強力に支援してきたイスラム教シーア派組織ヒズボラだ。もし勝っていたら、ヒズボラをテロ組織と見なすアメリカがレバノンと外交関係を維持すること自体、むずかしくなっていたかもしれない。

 だが、オバマはこの選挙結果にあまり期待しすぎるべきではないだろう。オバマが6月4日にカイロで行ったアラブ諸国向けの演説は、選挙結果にいくらか良い影響を及ぼしたかもしれない。ここ数カ月の間に、ジョー・バイデン米副大統領やヒラリー・クリントン米国務長官がベイルートを訪問していたことも。だが、アハマディネジャドがその支持を通じてかえってヒズボラ連合の足を引っ張ったせいだ、という可能性も同じくらいある。

アメリカよりシリア・イランが怖い

 レバノンでヒズボラが勝利すれば、「地域情勢は変化し、抵抗を強化するための新たな前線になるだろう」と、アハマディネジャドは5月に宣言した。彼が言う「抵抗」の相手はもちろん、イスラエルとアメリカだ。だが多くのレバノン人は、シリアに(最近ではイランにも)抵抗する必要を同じくらい感じている。とくにレバノンのキリスト教徒は、感情も投票先もばらばらの集団だということが今回の選挙でわかってきた。

 レバノン政治には特有の落とし穴が多い。テロや武力衝突でしばしば死者が出るからだけではない。これまで数え切れないほど、地域や世界の大国の代理戦争の舞台にされてきた。そのため何十年も戦争や占領やテロに苦しみ、発展は挫折した。それでも選挙があると、「政治はすべて地元の利害で決まる」という諺通りにレバノン社会の「地」が表に出てくる。

 レバノン政府は憲法によって宗派別に細かく議員定数などが決まっているため、政府として機能するには連立するしかない。さらに各宗派も長老、軍閥、金持ち、空想家、神秘主義者、殺人者、レバノン・マフィアなどに分かれており、普通の政治家たちと並んで決定的な役割を果たしている。つまり、レバノンの選挙は決して2派間の対立ではない。

決定的に見えたヒズボラの勝利だが

 一方には、サウジアラビアの強力な後ろ盾を得たイスラム教スンニ派の政治家サード・ハリリが率いる与党連合がある。父ラフィク・ハリリ元首相は05年2月、自動車爆弾で暗殺され、シリアの関与が疑われている。シリアは一切の関与を否定し、国連の調査からも確たる証拠はまだ出てこないが、それでも怪しいのはシリアだと多くの国民が思っている。

 暗殺から1カ月後の05年3月14日には大規模な反シリアのデモがあり、何十年もレバノンを占領していたシリアも撤退を余儀なくされた。数週間後、「3月14日」運動は選挙で議会の過半数の議席を勝ち取った。

 最新の開票結果によると、イスラム教スンニ派の圧倒的多数はハリリが中心となって率いる「3月14日連合」の候補に投票し、シーア派の圧倒的多数はヒズボラ連合の候補者に投票している。最後にレバノンの選挙結果を左右するのはだからシーア派でもスンニ派でもなく、少数派で票も真っ二つに割れたキリスト教徒だ。

 キリスト教系野党「自由愛国運動」のミシェル・アウン党首は、かつて政府軍将軍としてシリアの占領軍と戦い、熱烈な愛国主義者として自らをアピールしてきたが、その後なぜかヒズボラと手を組む。過去の選挙結果から考えて、この握手はヒズボラ連合に勝利をもたらすもののように見えた。

宗教的寛容を求めるオバマ演説に感動

 だが多くのキリスト教系住民のシーア派過激派に対する猜疑心は、想像以上に根強かった。アハマディネジャドが、テヘランの後に従って共同歩調を取ることをレバノンに期待するかのような発言をしたとき、いちばん悔しい思いをしたのは誇り高いマロン派のカトリック教徒だ。

 そこへオバマが、イスラム世界に寛容を求める演説をした。「宗教の多様性は保たれなければならない」と、彼は言った。「レバノンのマロン派のためであれ、エジプトのコプト派のためであれ」

 一般的な原則を繰り返しただけのようにも聞こえるが、レバノンのキリスト教徒は、彼らの正当性が評価されたと感じた。彼らと共感する言葉だとも。オバマの言葉は、アハマディネジャドの言葉よりはるかに多くを語っていた。

 一方のアハマディネジャドは、ただでさえイランと世界の関係を悪化させたとして政敵から非難されている最中。イランの友好国の一つとの関係をまた悪くしたと批判されるのは具合が悪い。

 勝利はまだ、レバノン政治のトレードマークである暴力や敵意や金の力で引っくり返されるかもしれない。だがそれでもこの勝利は、これほど不確実性が高まっている時代には朗報だ。もしオバマが笑顔なら、われわれも少しはリラックスしてもいいかもしれない。

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