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安全保障

核の脅威を止める21世紀の抑止力

2009年4月7日(火)15時41分
グレアム・アリソン(ハーバード大学教授)

核鑑識の実現にはデータベースが必要

 核鑑識を行う際は被爆地の瓦礫や闇市場に出回る核燃料を分析し、核物質の経路を製造元まで追跡する。それは指紋から犯罪者を特定する作業に似ている。犯罪者の指紋を採取してデータベース化できるようになったのは20世紀になってから。核鑑識にも比較対象となるデータベースが必要だ。

 現在、核兵器の原料となる物質は少なくとも40カ国が保有している。専門家は今、これら製造元のデータを集める作業を進めている。核爆弾の原料となるウランとプルトニウムに関しては、鉱石を採掘して、濃縮し、使用済み核燃料を再利用するまで、すべての過程で核物質がどこから来たかという痕跡が残る。

 ウラン鉱石はウランのほかにアメリシウムやポロニウムといった物質で構成されている。これらの物質はそれぞれ異なった特徴をもつ。プルトニウムの同位体の構成も製造された原子炉によって違う。

 核兵器の爆発後、核鑑識の担当者は瓦礫を集めて分析施設に送る。不純物や汚染物質も含めた物質固有の特徴を見つけ出し、製造元を突き止める。

 核爆発を分析すれば核兵器の設計法を知る手がかりもつかめる。たとえばパキスタンの核科学者アブドル・カディル・カーンが売り渡した技術は詳細までわかっている。高濃縮ウランの周囲を爆発物で囲む際のカーンの手法は爆発後も手がかりを残す。

 北朝鮮・寧辺の核開発施設も核鑑識の対象になりうる。北朝鮮は以前は核拡散防止条約の加盟国で、国際原子力機関(IAEA)の査察対象だったので、IAEAが膨大な比較サンプルをもっている。アメリカの情報機関もサンプルを入手しているかもしれない。こうしたサンプルは核鑑識を行うときに役立つだろう。

 02年、全米調査評議会は9・11テロをきっかけに始めた研究で「核兵器使用後の属性鑑定の技術は現存するが、うまく統合する必要があり、それには数年かかる」と予想している。

 アメリカ科学振興協会(AAAS)は08年、核鑑識の実現には解決すべき問題が多く、とくに核兵器が使用された際にすぐアクセスできる世界規模の核物質データベースがないと報告した。AAASによると、米エネルギー省にはウラン化合物のデータベースがあり、他の米政府機関や諸外国も相当量のデータをもっているが、「情報を統合して核鑑識に使用できるデータベースはない」という。

 そうした統合データベースが存在しても、核兵器が使用された際に各国がそれを利用する態勢がまだ整っていない。AAASの報告書が指摘するとおり、政策決定者たちに迅速に正確な情報を提供するための装置や人材が今はまだ不足している。

 核鑑識による抑止は想像以上に冷戦下の均衡に似ている。62年のキューバ危機で、アメリカはソ連が核弾頭ミサイルをキューバに持ち込もうとしていることを突き止めた。米安保当局は、ニキータ・フルシチョフ首相がキューバの最高指導者フィデル・カストロにミサイル管理の権限を譲り渡すのではないかと恐れた。

 ジョン・F・ケネディ米大統領は熟慮の結果、ソ連に明解な警告を送った。「キューバから西側陣営に発射された核兵器は、いずれもソ連からアメリカへの攻撃とみなし、アメリカは全面的な報復攻撃を行う」――フルシチョフはそんなことになれば全面核戦争になると思った。

 アメリカはキューバ危機以降、1発ないし数発の核兵器でソ連から攻撃された場合の対応策をいくつも練り上げた。同様の被害をソ連の都市にもたらす核攻撃を行おうという想定だった。

 ミネアポリスが破壊されたら、実際に大統領はウラジオストクを攻撃しただろうか? それは誰にもわからない。それでも、まちがってミサイルを発射することは絶対にできないと双方の指導者が認識していたことは重要だ。

 イラクに米軍が侵攻した03年、ブッシュ大統領は実質的に冷戦下の抑止論を放棄した。02年に陸軍士官学校で行ったスピーチで、「国同士の大規模な報復を前提とした抑止論は、国をもたず守るべき市民もいないテロ組織に対して意味をなさない」と語った。しかしブッシュは有効な代替策を示すことはできなかった。

 北朝鮮やパキスタンで製造される核兵器がテロリストの手に渡る懸念が高まる今、核抑止策を練り直す必要がある。まず、自国の核兵器に対する責任は核保有国の指導者にあることをはっきりさせ、彼らがテロリストに核兵器を売らないよう抑止すること。彼らが核兵器・核物質をしっかり管理したくなるような奨励策を考案することも重要だ。

 テロリストが核兵器を使用した場合の責任を個人や国に負わせることは、核テロを抑止する効果があるのか。核の拡散が意図的なものでなく不注意の結果だった場合、どこまで責任を問うべきか。むずかしい問題だが、21世紀の戦略立案者たちはその答えを見つけなければならない。

 核物質の出所を信頼性のある方法で特定するだけでは十分な核テロ防止策にはならない。核に関する説明責任について共通のルールを確立する必要がある。そのためには今も世界の核兵器の95%を保有するアメリカとロシアが先頭に立たなければならない。

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