映画界への恩返しに生きた、ロバート・レッドフォードの89年...世界が恋した「二枚目」の死を悼む
Not Just a Pretty Face
レッドフォード(右)の名を世界に知らしめた『明日に向って撃て!』 ©1969 2OTH CENTURY FOXーMPTVーREUTERS
<俳優、監督、育成者として、映画界にとびきりの恩返しをした人格者だった>
ハリウッドはルックスがものをいう場所だ。エロール・フリンもジェームズ・ディーンもブラッド・ピットも、その美貌でチャンスをつかんだ。
そんな二枚目スターの代表格ロバート・レッドフォードが9月16日、89歳で死去した。
ルックスがものをいうとはいえ、顔だけで成功が約束されるわけではない。世界で人の心をつかむには実力も優れた人格も必要だ。その全てをレッドフォードは備えていた。
最初から順調だったわけではない。10代で母を亡くし、大学を中退したレッドフォードは演技の道を志し、1959年に23歳でブロードウェイの舞台を踏んだ。
初めて出た映画は60年の『のっぽ物語』。端役だったが、現場で出会ったジェーン・フォンダとの間には生涯続く友情が芽生えた。フォンダは2015年、「ずっとロバートに恋をしていた」と公の場で明かしている。
才能を認められるのに時間はかからなかった。62年のテレビ映画『ボイス・オブ・チャーリー・ポント』でエミー賞の候補になり、売れっ子に。大きな役が舞い込み、『サンセット物語』にフォンダ共演の『裸足で散歩』など、その多くがラブロマンスだった。
だがイケメンすぎが災いし『卒業』の主演を逃したこともあって、レッドフォードはより多様な役を模索し始めた。
そして69年、映画史に残る名コンビを生んだ『明日に向って撃て!』が公開。ポール・ニューマン共演の傑作で、レッドフォードはスーパースターの座に駆け上がった。
レッドフォードが演じた無法者サンダンス・キッドはとにかくセクシーだった。10代の若者は男も女も部屋に映画のポスターを貼り、世界がレッドフォードに恋をした。
若手監督の育成に貢献
かくして快進撃が開始。『追憶』、再びニューマンと組んだ『スティング』に『華麗なるギャツビー』と、ヒットを連発した。
76年には再び最高の当たり役に巡り合った。
ダスティン・ホフマン共演の『大統領の陰謀』で、ウォーターゲート事件に迫った実在の記者ボブ・ウッドワードを演じたのだ。演技派の誉れ高いホフマンもこのときばかりはかすんで見えたほどで、レッドフォードがアカデミー賞にノミネートされなかったのは理不尽としか言えない。
監督業にも進出し初めてメガホンを取った80年の『普通の人々』がアカデミー賞で作品賞をはじめ4部門を制した。その後も『リバー・ランズ・スルー・イット』や『クイズ・ショウ』を世に問うた。
スクリーンの外では先住民や性的マイノリティーの権利向上に尽力した。しかし最大の功績は映画作家を育成する非営利団体サンダンス・インスティテュートとサンダンス映画祭の設立だろう。クエンティン・タランティーノやポール・トーマス・アンダーソンら多くの監督が、この映画祭から羽ばたいたのだ。
レッドフォードの軌跡を振り返ると分かることが1つある。彼は美貌で成功の扉を開けたかもしれないが、扉を60年以上開けておくことができたのは才能と献身のおかげだ。
俳優として監督として、レッドフォードは映画界に多大な恩返しをした。決してただの二枚目ではなかったのだ。
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Daryl Sparkes, Senior Lecturer, Media Studies and Production, University of Southern Queensland
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
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