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ロシアのもう1つの「罪」、陰惨な同性愛弾圧を暴く映画『チェチェンへようこそ』

Unveiling the Truth

2022年3月4日(金)19時20分
北島純(社会情報大学院大学特任教授)

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恋人とシェルターに避難するグリシャ(ラプノフ、右)は実名でチェチェンの暴力を告発することを決断 ©︎MADEGOOD FILMS

人権侵害への対抗手段

「存在の否定」は性的指向であれ思想信条であれ、人権侵害の最たるものだ。しかしチェチェンでは同性愛者というだけで政府の拷問を受け行方不明になる。そうした粛清の実態が命懸けで当事者が撮影したスマホの動画も使いつつ、市民団体の支援を受けてシェルター(避難施設)で息を潜める同性愛者の姿を通して描かれる。

なかでも、30歳のグリシャに焦点が当てられるが、彼の顔はなぜか平坦だ。それは弾圧の恐怖ゆえの無表情なのではなく、命の危険にさらされているグリシャを保護するために、ディープフェイクが使われているからだ。

ディープフェイクは人工知能(AI)による深層学習(ディープラーニング)を使ってフェイク、すなわち実際にはない虚偽映像を作る技術として知られている。2009年の映画『アバター』で見られたような、俳優の実際の動きを記録してCG化する古典的なモーションキャプチャ技術ではなく、動画の中の例えば「顔」だけを別人のものと入れ替える。

現時点でほとんど真贋が分からない程度まで描写の精緻化が進んでおり、オバマやバイデンのような政治家がありもしない暴言を吐く「顔交換動画」がパロディーとして、時に政治的攻撃の道具としてSNSなどで広まっている。

視覚効果担当のライアン・レイニーが開発したVFX技術「フェイスダブル」は、映画に登場する22人の当事者が特定されないように、在米市民有志の「顔」を大量に複数台カメラで撮影。そのデータを深層機械学習でアルゴリズム化し、被写体の顔面をマスキング処理する技法だ。

偽りを作るのではなく、真実の告発と匿名性の確保を両立させるため、他人の顔を借用する技術を「人権侵害への対抗手段」として用いたことが画期的である。

映画史に残る新手法の名シーン

グリシャは家族と共に一旦は国外脱出するも、モスクワに戻り、チェチェンにおけるゲイ弾圧の実態を告発する。

記者会見で本名がマキシム・ラプノフであることを明らかにした瞬間、グリシャことラプノフの顔に「さざなみ」のように波紋が走る。その顔を覆っていたフェイスベールによる表情が、ラプノフの本当の素顔に静かに置き換わる。このシーンこそ、映画史に残る新しい表現方法だ。

『チェチェンへようこそ』は、同性愛行為を宗教上の理由で違法化してきた中東やアジア・アフリカのイスラム諸国だけではなく、世俗国家であるはずのロシア連邦内部のチェチェンで超法規的なゲイ弾圧が行われている現実を突き付けている。ラプノフは仕事先のチェチェンで拘束されたロシア人だったので短期間で解放されたが、チェチェン人だったら会見もできなかっただろう。その現実はあまりにも深刻だ。

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