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恋の情趣・風雅・情事 ── 江戸の遊廓で女性たちが体現していた「色好み」とは

2021年11月22日(月)21時39分
田中優子(法政大学 名誉教授) *PRESIDENT Onlineからの転載

それでも遊女になる選択をしなければならない場合があるとしたら、それは一度に大きなお金が必要な時です。そういう時、自分が遊女になることで両親や兄弟が安心して暮らせるとしたら、情と思いやりがあるほど、その道を選ぶ女性はいたでしょう。

たとえ結婚したとしても、経済的貧困で家庭生活が成り立たなくなることもあり、そういう時は既婚者でも遊女になりました。身分に関わりなくそういう事態は起こり得て、江戸時代の初期の遊女には、お家取り潰しなどで職を失った武家の娘が多かったと言われます。

今は家を購入したり家族が病気になるなど、手元にあるお金で足りない時、正規の会社員であれば女性であっても銀行はお金を貸してくれます。借りたお金は給与から返していけばいいわけです。そこには企業の給与に対する「信用」があります。しかし江戸時代では、女性が大きなお金を借りる時、もっとも信用があるのが遊廓での働きだったのかも知れません。そこでは毎日、大きなお金が動くからです。

貧困に立ち向かう時、女性はどう生きたらよいのか? どのような道があるのか? 江戸時代だけでなく、その多くが非正規雇用者である現代日本の女性たちも依然として同じ問題を抱えているのは、驚くべきことです。

井原西鶴は女性をどう見ていたか

ところで『世間胸算用』で井原西鶴は、遊女ではないふつうの女性(地女)を辛辣に書いています。気持ちが鈍感で、物言いがくどくて、いやしい所があって、文章がおかしく、酒の飲み方が下手で、唄も唄えなくて、着物の着方が野暮で、立ち居振る舞いが不安定で、歩けばふらふらして、一緒に寝ると味噌や塩の話をして、ケチで鼻紙を一枚ずつ使うし、伽羅は飲み薬だと思いこんでいる、と。つまりこれをひっくりかえしたのが遊女でした。

香水のなかった当時、髪や着物に伽羅を焚きしめた遊女はとても良い香りがして、それだけで天女のような存在だったのですが、それだけでなく、人の気持ちに敏感で、物欲がなく、余計なことを言わずにさっぱりとした物言いをし、酒を適度に飲み、唄がうまく、着物のセンスが抜群で、素晴らしい手紙を書き、腰がすわって背筋の伸びた美しい歩き方をしたのです。実際に遊女は客の前でものを食べることと、金銭に触れること、また金銭の話をすることなどを禁じられていました。

「遊廓言葉」の一部は後に上流階級の山の手言葉に

初期の遊女は三味線、唄、踊りも得意でしたが、すでに述べたように、次第に芸能の分野は芸者に任せるようになりました。その結果、吉原芸者は他のどこの芸者より優れた芸人になったのです。

しかし芸能をおこなわなくなった後も、遊女は和歌、俳諧、漢文などの文学的な能力があり、文人たちとそういう話もできましたし、着物の上に武家の女性のような打ち掛けをつけました。つまり正装をしていたのです。

また独特の語尾を持つ人工の遊廓言葉を話しましたが、その中で「ざんす」「ざいます」などは後に上流階級の山の手言葉になります。教養高く優れた人柄の遊女がたくさんいて、文学にも書かれました。

「床上手」が意味していたこと

「床上手」ということも遊女の大事な要素でした。ここでは、井原西鶴『好色一代男』と『諸艶大鑑(好色二代男)』に登場する遊女を何人か見てみましょう。

野秋という遊女については、「一緒に床に入らなければわからないところがある」と書いています。肌がうるわしく暖かく、その最中は鼻息高く、髪が乱れてもかまわないくらい夢中になるので、枕がいつの間にかはずれてしまうほどで、目は青みがかり、脇の下は汗ばみ、腰が畳を離れて宙に浮き、足の指はかがみ、それが決してわざとらしくない、と。

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