最新記事

BOOKS

意外や意外、広い話題で穏やかに、資本主義へ別れを告げる

2015年12月7日(月)15時42分
印南敦史(書評家、ライター)

 たとえばその裏づけとして、著者はITビジネスの弊害に触れている。よく取り沙汰されることだが、「IT技術が進歩すると、結果的に人の仕事が減る」といった問題だ。また、その延長線上で、90年代半ばごろの著者の主張が掘り起こされてもいる。「価格破壊」はやがて「雇用破壊」となり、その次には「人間破壊」へと至るという考え方である。

 物価を下げるには賃金を下げる必要があり、雇用コストも削減しなければならないから、「価格破壊」はやがて「雇用破壊」になる。しかし雇用が不安定になると他人を蹴落とさなければ生活を確保できない弱肉強食型になるので、他者との信頼関係が希薄になる。すなわちそれが、「人間破壊」であるという流れだ。

 その考え方は、いまとなってはさほど新鮮ではなく、むしろ「当たり前」なこととして認知されているだろう。しかし問題はむしろ、それを「当たり前だ」と感じることができる時代に、現在の私たちがいるという事実にある。日常のなかでは実感する機会が少ないかもしれないが、本来なら私たちはそこにこそ目を向けるべきだと感じた。

 近代社会とは、著者の言葉を借りるなら、個人の自由を決定的に重視する社会。個人の自由とは自己の欲望の実現であり、願望の実現。そんななかで市場は人々の欲望の向かう場に利益を求めるから、それは個人の「自己実現」のなかに利潤機会を見出すことになる。

 そこで大きな役割を果たしたのがIT革命であり、そのおかげで私たちはスマホで簡単に情報収集でき、ネットショッピングで楽に商品を購入できる。しかし、欲望を実現するためには「がまん」が必要なのだと著者は主張する。ITによってすぐに欲望が充足されるのであれば、がまんする必要がなくなり、すぐに欲望が満たされなければ満足できなくなる。つまりIT革命は、それまであった当然のルールを破壊してしまったということ。


 われわれは、社会のなかで他者と接触し、がまんもしながら、必要なものを消費するのではなく、「空疎なアイデンティティ」の代用として、「即席の欲望充足」の魔術に取り込まれてしまったのではないでしょうか。(218ページより)

 かくして人は社会的なつながりを失い、衝動を抑えられなくなって、欲望をさらに膨らませることになる。しかし、今日の資本主義のフロンティアがこうした人々の「衝動」に働きかけるものであるなら、それこそが「人間破壊」なのではないか。それが、著者の最終的なメッセージだ。

「では、どうしたらいいのか?」については言及されていないが、ある意味それは予測不可能なこと。つまり私たち一人ひとりが、これから考えていかなければならないことなのである。

<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『さらば、資本主義』
 佐伯啓思 著
 新潮新書

<この執筆者の過去の人気記事>
時間が足りない現代に、「映画・ドラマ見放題」メディアが登場する意味
日本の貧困は「オシャレで携帯も持っている」から見えにくい
イスラム過激派に誘拐された女性ジャーナリストの壮絶な話

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米、農場やホテルでの不法移民摘発一時停止 働き手不

ワールド

米連邦最高裁、中立でないとの回答58%=ロイター/

ワールド

イスラエル・イラン攻撃応酬で原油高騰、身構える投資

ワールド

核保有国の軍拡で世界は新たな脅威の時代に、国際平和
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中