最新記事

映画

『ルック・オブ・サイレンス』が迫る虐殺のメカニズム

2015年7月9日(木)19時02分
佐伯直美(本誌記者)

magcul09july010715b.jpg

過去と向き合う 殺人部隊の元司令官と対話するアディ(左) © Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014.

 最大の課題は、いかにしてアディの安全を確保しつつ加害者に会わせるかだった。幸いオッペンハイマーは、『アクト・オブ・キリング』の撮影を通じて、加害者の中でもかなりの大物と親しいことで有名だった。同作を公にする前に撮影すればまだ安全だし、アディが面会を望む加害者たちの協力も得やすい。そして万が一、現場で相手が激昂しても、大物たちとの関係が「抑止力」になると考えた。

 眼鏡技師というアディの職業も幸いした。大半の加害者は高齢なので、無料の視力検査という名目で訪問し、素性を明かすかはアディの判断に委ねられた。

 一歩間違えれば命を狙われかねない相手に対し、アディは辛抱強く、だが率直に虐殺の過去を尋ね、罪の意識を目覚めさせようとする。加害者の反応はさまざまだ。いら立ち、怒り、逃避。誰も責任を認めようとはしない。

 上官の指示に従っただけだと開き直る殺人部隊の元司令官に向かって、アディは「私が会った殺人者は誰ひとり責任を感じていない」と静かに訴える。「あなたを責める気はない。ただ、あなたは倫理的責任から逃れようとしている」

 こうした対話の場面で、見る者の心を最も揺さぶるのは言葉ではない。強気な言動とは裏腹に、アディが犠牲者の遺族と知った途端に相手の目に広がる動揺。信頼する親類から虐殺に関わった事実を聞かされたアディの表情。言葉のない瞬間にこそ、説明のつかない感情や本人も気付かない内面が現れる。

 無言のシーンを最大限に生かすため、オッペンハイマーは小津安二郎の作品を参考にしたという。「小津は沈黙ですべてを物語る場面を作り出す達人だった。言葉は一言も発しないのに、すべてが伝わってくる」

インドネシアに変化の波

 そうした手法を通して見えてくる加害者は冷徹な悪人でなく、良心も弱さもある普通の人間だ。だからこそ観客は、何が彼らをこうさせたのかと自問する。

 その答えを見つけるのは簡単ではない。世界ではこれまで、人間を残虐行為に走らせる心理的メカニズムの研究が数多く行われてきた。最も有名なのは、60年代にアメリカで行われた「ミルグラム実験」だろう。

 2人組の被験者を別々の部屋に入れ、一方がテストで間違えたら罰として電気ショックを与えるよう命令する(間違うたびに電流は強くなる)。すると大多数の被験者は、パートナーが別の部屋で泣き叫ぶ声を聞いても、電流を流し続けたという。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ミネソタ州に兵士1500人派遣も、国防総省が準備命

ワールド

EUとメルコスルがFTAに署名、25年間にわたる交

ワールド

トランプ氏、各国に10億ドル拠出要求 新国際機関構

ワールド

米政権、ベネズエラ内相と接触 マドゥロ氏拘束前から
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:総力特集 ベネズエラ攻撃
特集:総力特集 ベネズエラ攻撃
2026年1月20日号(1/14発売)

深夜の精密攻撃でマドゥロ大統領拘束に成功したトランプ米大統領の本当の狙いは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰に地政学リスク、その圧倒的な強みとは?
  • 2
    中国のインフラ建設にインドが反発、ヒマラヤ奥地で国境問題が再燃
  • 3
    DNAが「全て」ではなかった...親の「後天的な特徴」も子に受け継がれ、体質や発症リスクに影響 群馬大グループが発表
  • 4
    シャーロット英王女、「カリスマ的な貫禄」を見せつ…
  • 5
    AIがついに人類に「牙をむいた」...中国系組織の「サ…
  • 6
    「リラックス」は体を壊す...ケガを防ぐ「しなやかな…
  • 7
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 8
    上野公園「トイレ騒動」に見る、日本のトイレが「世…
  • 9
    中国ネトウヨが「盗賊」と呼んだ大英博物館に感謝し…
  • 10
    【総選挙予測:自民は圧勝せず】立憲・公明連合は投…
  • 1
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率が低い」のはどこ?
  • 2
    上野公園「トイレ騒動」に見る、日本のトイレが「世界一危険」な理由
  • 3
    世界初で日本独自、南鳥島沖で始まるレアアース泥試掘の重要性 日本発の希少資源採取技術は他にも
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    正気を失った?──トランプ、エプスタイン疑惑につい…
  • 6
    母親が発見した「指先の謎の痣」が、1歳児の命を救っ…
  • 7
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 8
    「高額すぎる...」ポケモンとレゴのコラボ商品に広が…
  • 9
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 10
    世界最大の埋蔵量でも「儲からない」? 米石油大手が…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 8
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 9
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 10
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中