最新記事

映画

『グリーン・ゾーン』の空回りイラク

戦争「終結」後のイラクが舞台の『グリーン・ゾーン』は、情勢の泥沼化を招いた背景を描くはずが、ありがちな戦場スリラーに

2010年6月10日(木)15時24分
イラナ・オザーノイ

はみだし者 陸軍上級准尉ミラー(マット・デイモン)は見つからない大量破壊兵器の謎を追う  ©2009 Universal Studios. All Rights Reserved.

 すさまじい爆音が町に響き渡る。03年3月、米軍の侵攻でイラクの首都バグダッドは陥落しつつある。大統領宮殿は崩壊し、サダム・フセインの忠臣たちが次々と逃げ出していく。そんななか、口ひげを生やした不気味な男が、1冊の黒い手帳を意味ありげに上着ポケットにしまい込む──。

 ポール・グリーングラス監督の映画『グリーン・ゾーン』はこんな場面で始まる。戦争ドキュメンタリーとスパイ映画『ボーン・アイデンティティー』を合わせてスリラーに仕立てたような作品で、最初から最後まで同じ調子だ。

 この作品はアメリカ人ジャーナリスト、ラジブ・チャンドラセカランの06年の著書『インペリアル・ライフ・イン・ザ・エメラルド・シティ』に触発されて生まれた。同書は現地に記者として滞在していたチャンドラセカランが、イラク戦争「終結」後の1年を書いたノンフィクション。丁寧に描かれたディテールが醍醐味だが、映画は非現実的な筋立てを追い、大事な細部を切り捨てている。

 主人公のロイ・ミラー陸軍上級准尉(マット・デイモン)の任務はイラクの大量破壊兵器を探すこと。しかし、いくら探しても見つからない。情報の質が悪いのか、それとも兵器があるという話自体が出任せなのか。その答えを見つけられるのはミラーだけだ。

 ここで作品は破綻する。原案となった本ではイラク情勢の泥沼化を招いたアメリカの大小さまざまな過ちが粘り強く描かれるが、グリーングラスはありきたりなハリウッド映画に仕上げるためにそれを怠った。CPA(連合国暫定当局)の無能さや傲慢さ、見当外れの理想主義を描く代わりに、英雄的でマッチョなミラーと、グレッグ・キニア演じる米国防総省の狡猾なメガネ男のけんかに終始する。

 映画を見ている間、私は記者としてイラクに2年間駐在していた経験から心の中で真実味をチェックした。バグダッドのくすんだ空気や米兵の叫び声は、確かに現地の雰囲気を再現している。だが03年当時はドミノ・ピザなどなかったし、屋内で衛星電話の電波状況があんなにいいのはどういうことか。私は電波を受信するために、ホテルのバルコニーから落ちそうになったのに。

本物へのこだわりが仇に

 バース党を排除し、軍を解体しようという考えが武装勢力の反発を招いたという点は見事に描かれている。なのにグリーングラスは、真実を追求するはみだし者のミラーが持ち去られた黒い手帳を見つければ、アメリカは任務を遂行できたかもしれないと観客に語り掛ける。複雑な現実をたった1冊の手帳に集約しているのだ。だが現実のイラクには多くの秘密、多くの英雄、多くの悪党が存在した。

 この映画の狙いが「ありきたりだが楽しい作品」なら、深く考えずに楽しめただろう。だがグリーングラスは本物らしさに執拗にこだわった。そのせいでなおさら描かれた世界が信じられなくなった。カメラを揺らしながら撮影する手法は本物らしく見せる効果を発揮しているが、侵攻後の臨場感を薄めてしまった。人の気配が消えた当時のバグダッドで私が覚えているのは恐ろしいほどの静寂だ。

 グリーングラスは映画公開に伴い、こう述べている。この映画の狙いは、『ボーン』シリーズのファンを現実の設定へいざない、あの作品の軸となっていた不信や妄想は現実離れしたものではないと感じさせることだ、と。

 まさにそんな狙いどおりの作品だ。しかし現実のイラク戦争は映画のようにはいかなかったし、今後もそうはならないだろう。
  イラク戦争で何を間違えたのかを描き出す印象深い作品になったかもしれない。だが実際に出来上がったのは、使い捨て品のような映画だ。  

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

リオ・ティント、鉄鉱石部門トップのトロット氏がCE

ワールド

トランプ氏「英は米のために戦うが、EUは疑問」 通

ワールド

米大統領が兵器提供でのモスクワ攻撃言及、4日のウク

ビジネス

独ZEW景気期待指数、7月は52.7へ上昇 予想上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 2
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 3
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 4
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 5
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 6
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 7
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 8
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 9
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 10
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中