コラム

トランプ中東和平案「世紀の取引」に抵抗しているのは誰か

2020年02月18日(火)18時20分

パレスチナ自治政府のアッバース議長は、安保理での拒否決議の提案を取り下げた Raneen Sawafta-REUTERS

<パレスチナ自治政府もなすすべがないといった体だが、国連はこの和平案に明確に抵抗を示している>

1月末にトランプ米大統領が発表したイスラエル・パレスチナ中東和平案、「世紀の取引」(正式には「繁栄への和平」)は、世界にざわつきと不安を呼んだ。ユダヤ人入植地の存在を認め、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地域の多くをイスラエルに編入し、パレスチナ人難民のイスラエル帰還権は否定される。その内容は、オスロ合意以降続いてきた「二国家共存」の原則を実質的に放棄したものであり、発表直後から多くの反発は必至と危惧されてきた。

しかしながら、それから3週間が過ぎ、反発や抵抗が本格化しているとはほど遠い。トランプ案への反対を国連に訴え、安保理での拒否決議を模索していたアッバース・パレスチナ自治政府議長だが、12日、米政府の拒否権発動を恐れて提案を取り下げた。

これまでの和平案のなかでも最もパレスチナ人の権利を最小化した案のひとつなのに、なぜ反対が盛り上がっていないのだろうか。

改めて「和平案」を提示したトランプの目的は?

まず、トランプの「世界の取引」のどこが問題なのか、簡単にまとめておこう。領土については、西岸の入植地のイスラエル編入と同時にヨルダンとの国境地域もイスラエルの領土とする、としている。一方で、イスラエル領内のアラブ人地域をパレスチナ側との間で交換することも指摘されている。聖地については、2年前にトランプ大統領がエルサレムへの米大使館移転を実行したことの延長で、東をも統合したエルサレムをイスラエルの首都とする。パレスチナ人の帰還権を認めないということは、彼らはもはや難民ではないので国際機関の支援を必要としなくなり、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)などの国際援助機関は不要となる。パレスチナ難民は、今滞在している国に同化すればよい。

一方パレスチナ人には国家を与え、「二国家」原則は維持するが、そのパレスチナ国家はイスラエルが編入した地域を除く「スイスのチーズみたいな穴ぼこだらけ」(アッバース議長の言葉)になる。ただし国防権などイスラエルを脅かす国家主権は十全に与えられない。トランプがパレスチナ国家の首都として提示したのは、エルサレムの東端、イスラエルが旧市街の東に建設した分離壁の外の村アブー・ディスで、行政的にはエルサレム県だがイスラームの聖地としてのエルサレムではない。

このような内容なので、当然多くのアラブ、ムスリム諸国が猛反発した。パレスチナ自治政府はもちろんだが、イラン、トルコ、ヨルダンが反対を表明、アラブ連盟やイスラーム諸国会議も二月始めにはこれへの拒絶を決定した。

その一方で、ペルシア湾岸のアラブ王政・首長政諸国はむろんのこと(例外的にクウェートが批判したが)、エジプト、モロッコなどの親米諸国は同案を歓迎した。2015年から続くイランとサウディアラビアを軸とした中東地域の覇権抗争によって、湾岸の反イラン・アラブ諸国が「敵の敵」であるイスラエルに接近を続けているからである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:「豪華装備」競う中国EVメーカー、西側と

ビジネス

NY外為市場=ドルが158円台乗せ、日銀の現状維持

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型グロース株高い

ビジネス

米PCE価格指数、インフレ率の緩やかな上昇示す 個
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 4

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 5

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 6

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 7

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 8

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 9

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 10

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story