Picture Power

【写真特集】薄明の中で捉えた、高次脳機能障害の妹の心の断片

REFLECTIONS ON EMPATHY

Photographs by NORIKO HONDA

2022年01月08日(土)16時20分

妹と私はよく病室の窓から外を眺めた。「早くうちに帰りたい」「早く前のように会社に行きたい」と妹は繰り返しつぶやいた。カーテンは柔らかく妹と社会を隔てていた。窓の外の世界から、この病室はどう見えていたのだろう

<妹の身に起きたような理不尽なことは、誰の人生にも突然に訪れる。そんなとき、人はどのように悲しさや寂しさ、焦燥感を乗り越えるのだろう>

日の出前と日の入り後のひととき、昼と夜が出合い、天空がほのかな光で染まる「薄明(はくめい)」を迎える。2つの異なる世界をつなぐ薄明の中、ぼんやりとしたうす暗い向こう側に目を凝らし続けると、何かがおぼろげに見えてくる。

私の妹は、3年半前にくも膜下出血に倒れ、何度も生死の間をさまよった後、再び人生を歩みだした。その過程で脳を損傷し、記憶や注意力、情緒などの認知機能に支障が起こる高次脳機能障害を持った。そして葛藤しながら、少しずつそれを受け入れてきた。

この物語の始まりは妹の病床の記録だったが、私は写真を撮り進めるうちに、外見からは分かりにくい障害を持った妹の気持ちを、撮影を通じて理解したいと思うようになった。妹は、家族の思い出が詰まった家で独り暮らしをすることを選び、復職リハビリを経て職場へと戻ったが、仕事や家事で健常者が普段意識せずに行う平々とした行動が病前のようにはこなせない。

ゆっくりと振る舞い、頭の中の自分の引き出しから必死に答えを探し出す。買い物や洗濯など、細々とした作業の一つ一つを、小さな課題として捉えて工夫し、なんとか以前の自分に近づこうと努力を重ねて日常生活を送っている――いつの日か、失った能力が回復することを信じて。

他者への共感的理解

この障害の特性から、情緒を保つことが苦手になった妹は、気持ちの調節がうまくできず、感情の高ぶりを見せることがある。そんなとき、私には目の前にいる彼女のことが、よく見えていないように感じられる。理解しようと努めても、性格も感じ方も違う他者である私には、独りよがりに妹の気持ちを想像するくらいしかできていないのではないか。

妹もまた、分かり合えない寂しさを抱いているのかもしれない。病前とは様変わりした自分の状態に対して、妹自身はどう感じているのだろうか。妹が病に倒れてからというもの、私がずっと抱えている言いようのない重苦しい悲しさには終わりがない。

よく2人で、病室の窓からたくさんの家の明かりを見た。光の奥にある部屋には、戸外にいる他者には理解しにくい、そこで暮らす人たちの心の在り方がいっぱいに詰まっているように思えた。病室の中の妹や私の心の在り方もまた、向こう側からは見えにくいように。

妹の身に起きたような理不尽なことは、誰の人生にも突然に訪れる。そんなとき、人はどのように悲しさや寂しさ、焦燥感を乗り越えるのだろう。自分とは考えや状態が違う人の心に寄り添うことはできるのだろうか。

私はこうして妹との日々を拾い集めながら、他者への共感的理解に思いを巡らす。そして薄明の中で目を凝らし、わずかずつ捉えた断片を多くの人と分かち合い、話し合いたいと願っている。

――ほんだのりこ(写真家)

empa02.jpg

「頑張ってるよ」が口癖になり、大切にしているぬいぐるみに、自分の気持ちを代弁させることが目立つようになった。退院してから半年間、疲労感からすぐに眠ってしまう日々が続いた。早起きだった妹は朝が苦手になった


empa03.jpg

父母と暮らした頃の思い出の写真。私たち姉妹は、母が手作りした服や人形で育った。幼い時に両親がしてくれた家族の行事も、今では私と妹の2人で行うようになった。そんなときは笑顔を見せて喜んでくれるけれど、妹のしぐさからは寂しさを感じる


empa04.jpg

両親が結婚した時にそろえた洋服ダンスの鏡に映る「仏心」の文字は妹が書いた。習字は父と妹の共通の趣味だった。 妹は、もう筆を持たない

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

FRB理事候補ミラン氏、政権からの利下げ圧力を否定

ワールド

ウクライナ安全保証、26カ国が部隊派遣確約 米国の

ビジネス

米ISM非製造業指数、8月は52.0に上昇 雇用は

ビジネス

米新規失業保険申請、予想以上に増加 労働市場の軟化
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 2
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害」でも健康長寿な「100歳超えの人々」の秘密
  • 3
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 4
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 7
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 8
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 9
    SNSで拡散されたトランプ死亡説、本人は完全否定する…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を呼びかけ ライオンのエサに
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story