コラム

自身の言葉で話し、耳を傾ける姿に、民主主義の核心を見出す『ボストン市庁舎』

2021年11月13日(土)12時49分

麻薬対策と芸術文化のチームが合同でアートを治療に役立てることを話し合う会議では、メンバーのひとりが、ストリート・アーティストのスウーンが刑務所の受刑者とともに行った試みを以下のように紹介する。


「女性受刑者の再犯防止プログラムで、彼女は受刑者達に彼女達自身の物語を語らせた。皆涙を流した。それがとてもパワフルだった。言葉で物語ることはとても重要だ。見捨てられた人々の人生を語ることは、人間性を復活させる重要な手段なんだ」

それに続く退役軍人と戦没者の日の行事では、最初に壇上に上がった女性が、行事ができた背景を以下のように説明する。


「セバスチャン・ユンガーの最新作は『部族』と言い、題材になっているのは、退役軍人社会での帰郷と帰属の概念です。地域が退役軍人のためにできる最もよい方法は、黙って彼らの話を聞くことだと書いています。彼らを支持して。私達の目的もそれです」

その後、退役軍人がそれぞれの体験を語り、最後にウォルシュ市長が、自身のアルコール依存症体験を語り出す。彼は建設業で働くようになってから酒を飲みだし、やめられなくなり、治療施設に入ることになった。酒をやめるためではなく、他に行き場がなかったからだ。ところが、最初の夜の集会で、依存症の人々の話を聞いて、依存症とは何かを学んだ。帰還兵と依存症は見かけは大違いだが、心の傷は同じであり、自身の体験を語り、それを共有することが重要になる。

ワイズマンが、話をする(tell a story)ことに強い関心を持っていることは明らかだが、この部分だけであれば、それは特定の人々のための療法のように見える。だが、この部分をヒントに全体を見渡してみれば、ウォルシュ市長の経験が市政に反映され、ワイズマンがそれを掘り下げていることがわかるはずだ。本作でウォルシュ市長が最初に登場するのは、銃撃事件などが起きた後の地域のケアについて話し合う警察との会議だが、この場面はふたつの点で興味深い。

市長は、事件後の住人の心的外傷について、市にも警察にもカウンセラーがいて、葬式までは家族をケアするが、その後のケアに関する連携が不十分だと指摘する。実は市長が自身のアルコール依存症体験を語るとき、彼は「施設を出ても治ってはいません。その後のケアが大事なんです」とも語っていて、この指摘は自身の体験と繋がっている。

もうひとつは、この場面だけではなく、会議などで、市が実際にやっていることが住民にうまく伝わっていないという表現が出てくるが、そこにも「tell a story」というフレーズが含まれていることにも留意すべきだろう。本作では、そういう意味も含めて、話すことが掘り下げられている。

ウォルシュ市長の演説には、アルコール依存症のことも含め、頻繁に個人的な体験が盛り込まれているが、それは自ら手本を示すためだろう。そして、住民にもそれを求める。教会設立200周年を祝う催しに集まった高齢者たちに向かって、彼はこのように訴える。


「311は市のホットラインで私の部屋に繋がっています。(中略)ボストンの市民なら311に電話して訴えて、いいですね? 通りで私を掴まえて話を、車で通りすぎたら引き返して話を聞く」

自身の言葉で話し、耳を傾ける姿に、民主主義の核心を見出す

そんな市長の姿勢は、職員にも浸透しているように見える。終盤に盛り込まれたいくつかのエピソードがそれを物語る。

給水栓の前に車を駐車したために違反切符を2枚も切られた男性は、重要な会議のための出張と妻の初産が重なった事情を説明し、切符1枚の免除を求める。話を聞いた担当者は、その訴えを受け入れ、切符を2枚とも無効にし、罰金もなくなる。老朽化した住宅に暮らし、ドブネズミに悩まされる老人とその対応にあたる職員とのやりとりからは、職員が疎外感に苛まれる老人の話に耳を傾ける役割も果たしていることがわかる。

本作では、インターネットやSNSなどを目にすることはほとんどない。ワイズマンは、市民や市長や職員が、それぞれに自身の言葉で直接的に話し、伝え、耳を傾ける姿に、民主主義の核心を見出している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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