コラム

シリア・アレッポで母はカメラを回し続けた『娘は戦場で生まれた』

2020年02月28日(金)17時15分

それは同時に、ワアドの成長の記録にもなる。負傷した子供を目の当たりにして、感情を抑えることができずに涙を流していた彼女は、独自の視点から現実を切り取るジャーナリストに変貌を遂げていく。彼女は内戦を日常として生きる母親や子供に寄り添い、気丈に振る舞う彼らが、ふとした拍子に見せる涙をとらえる。

このジャーナリストへの変貌は、精神的な意味で、ということだけではない。ワアドは、2016年1月から「チャンネル4ニュース」の「Inside Aleppo」というドキュメンタリー・シリーズのために、内戦の悲劇を撮影するようになった。その映像は本作にも盛り込まれている。

しかし、番組で使用された映像とアレッポ陥落後に編集して1本の作品となった映像では、それが意味するものは同じではない。

ここで、以前コラムで取り上げたマシュー・ハイネマン監督の『ラッカは静かに虐殺されている』を思い出してみたい。そこでは、「イスラム国(IS)」に制圧された街ラッカを舞台に、市民ジャーナリスト集団"RBSS(ラッカは静かに虐殺されている)"の活動が描き出された。彼らの目的は、海外メディアも報じることができないラッカの惨状を国際社会に伝えることだった。

だがそこには、ISとのメディア戦争以外に、もうひとつ印象に残る要素が盛り込まれていた。作品の冒頭には、「City of Ghosts」というタイトルが浮かび上がり、こんなナレーションがつづく。


「これはラッカの物語だ。忘れ去られたシリアの街。ISの首都として有名になり、幽霊の街になった。だが、昔もこれからも我々の故郷だ」

国際社会に実情を伝えても成果が得られない彼らは、失った家族や仲間を通してラッカと繋がるしかない。そんな故郷を失う痛みが掘り下げられている。

あるいは、アレッポを舞台にしたフェラス・ファヤード監督の『アレッポ 最後の男たち』を思い出してもいい。そこでは、爆撃で生き埋めとなった生存者を救う「ホワイト・ヘルメット」の活動が描かれる。主人公のハレドは、子供のためにも難民となるか、故郷に留まるべきか、葛藤しつづける。

そんな彼は、自分の想いを、仲間と飼い始めた金魚に例える。金魚が水なしには生きられないように、アレッポを離れて生きていくことはできないと語るのだ。

アレッポ喪失の痛みを乗り越えようとする物語

そして本作にも、ワアドのアレッポへの想いが反映されている。時間軸を前後させるような構成にしているのは、その想いを確認するためだともいえる。

ワアドはアレッポで生まれたわけではないが、そこで自由の意味を知り、ずっと望んでいた故郷を得た気がし、根を下ろす覚悟をする。結婚したワアドとハムザは、家を手に入れ、庭に木を植える。だが、家の裏手の建物が爆撃にあい、庭も破壊される。

しかしふたりは揺らがない。彼らが、トルコにいるハムザの両親に会いに行くエピソードで、その覚悟が鮮明になる。彼らはトルコで、アレッポに戻る道路が封鎖されたことを知るが、サマも連れて躊躇することなく帰途につき、前線のわずかな隙間を通り抜けて、アレッポにたどり着く。

この封鎖を突破するエピソードは、先述の番組でも取り上げられているが、ワアドとアレッポをめぐる脈絡があるのとないのでは、意味が違ってくる。そして、それだけにアレッポ陥落は、ワアドとハムザにとって致命的な痛手となる。

本作は、ワアドがアレッポの記憶を心に刻み込み、喪失の痛みを乗り越えようとする物語と見ることもできる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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