コラム

レバノン人とパレスチナ難民の口論が国家を揺るがす裁判に:『判決、ふたつの希望』

2018年08月30日(木)15時30分

その法廷では、右派と左派の原告側代理人と被告側弁護人が、容赦ない代理戦争を繰り広げ、対立をエスカレートさせていく。論戦で興奮した原告側代理人は、国内のパレスチナ難民を「災厄」と表現し、さらにはイスラエル寄りととられても仕方ない発言をし、物議を醸す。街では暴動が起こり、大統領が仲裁に乗り出しても収拾がつかない。

しかし、控訴審の終盤で転機が訪れる。この映画の導入部にあるトニーと妻の会話は、その伏線になっている。妊娠中の妻は、ベイルート郊外のダムールに引っ越すことを望んでいる。彼女は、「あなたの実家があるし、復興して戻る人も多い。教会も再建されたし」と語る。だがトニーは、それを頑なに拒む。その時点では、かつてダムールでなにがあったのかわからないが、終盤で明らかになる。

『戦場でワルツを』と比較してみると興味深い

そこで筆者が思い出していたのは、イスラエルのアリ・フォルマンが監督した『戦場でワルツを』(08)のことだ。アリ・フォルマン自身の戦争体験に基づくアニメーション・ドキュメンタリーには、この映画に通じるアプローチがあり、比較してみると興味深い。

戦場でワルツを 完全版(字幕版)(予告編)

主人公のアリはある日、24年前の1982年に起こったレバノン侵攻、彼が19歳で従軍した戦争の記憶がまったくないことに気づく。そこで彼は、失われた記憶を取り戻すために、世界中に散らばる戦友たちに取材を始める。

ちなみに、この映画の原題は「バシールと踊るワルツ(Waltz with Bashir)」であり、バシールとは、先述したバシール・ジュマイエルのことを意味している。

では、アリが記憶を取り戻すことにはどんな意味があるのか。イスラエルを代表する作家アモス・オズがレバノン侵攻について書いた『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』の以下のような記述が参考になるだろう。


「そしてやがてレバノンからの撤退が始まり、引きつづいて記憶喪失症がひろがった。シャロンおじさんは辞任せざるをえず、参謀総長のラフルおじさんもまた野に下り、ベギンじいさんはひたすら身を縮めた」

「レバノン戦争のことは何もかも、みんなで忘却の穴倉に押し込めてしまった。約700人の兵士が戦死したのにたいして、敵の戦死者は数千にのぼった。また一万人以上の市民が犠牲になったといわれる。この悪事をしかけた側から見ても『罪のない人』が、である」

レバノンでは、内戦中の戦争犯罪について、一部の事例を除いて恩赦法が適用された。それもまた忘却の穴倉に押し込めることだといえる。控訴審で明らかにされるダムールの虐殺について、原告側代理人と被告側弁護人はそれぞれに、「1976年にダムールを始め数ヵ所で起きた"事件"は闇に葬られた」、「真相は分からず、加害者は自由の身。正義も結末も何もなし」と語る。

しかし、穴倉に押し込めても、しこりは残り、不満はくすぶりつづける。この映画ですべての発端となる水漏れは、偶然ではなく、そんな些細な出来事が思いもよらない展開を通して、内戦を見直すことに繋がっていくのだ。

《参照/引用文献》
『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』 アモス・オズ 千本健一郎訳(晶文社、1993年)
『レバノンの歴史 フェニキア人の時代からハリーリ暗殺まで』堀口松城(明石書店、2005年)

『判決、ふたつの希望』
(C) 2017 TESSALIT PRODUCTIONS - ROUGE INTERNATIONAL - EZEKIEL FILMS- SCOPE PICTURES - DOURI FILMS
公開: 8月31日(金)、TOHO シネマズ シャンテ他全国順次公開

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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