コラム

タクシー運転手に扮して、イラン社会の核心に迫った:『人生タクシー』

2017年04月14日(金)15時15分

『クリムゾン・ゴールド』では、ピザ屋の配達員として働く若者がどのような経緯で宝石店に押し入るのかが描き出される。パナヒはそんなドラマを通してイランの著しい格差の問題を掘り下げている。イラン出身の評論家ハミッド・ダバシが『イラン、背反する民の歴史』に書いているように、イランでは世俗的な中流階級とより信心深い下層階級の間に深い溝がある。

国内で上映可能な映画のルール...

新作に盛り込まれた強盗に関わるエピソードも、すべてそんな格差と結びついている。なかでもパナヒの鋭い洞察が際立つのが、彼の姪を中心に据えたエピソードだ。そこでは強盗と厳しい検閲が巧みに結びつけられている。

課題の短編映画の構想を練る彼女は、国内で上映可能な映画のルールを読み上げる。「女性はスカーフを被り、男女は触れ合わない。俗悪なリアリズムや暴力は避ける。善人の男性にはネクタイをさせない。善人の男性にはイラン名を使わず、代わりにイスラム教の聖人の聖なる名前を使う――」

このルールには、階級をめぐる深い溝が浮き彫りになっている。なぜなら、ネクタイをするような世俗的な中流階級は悪人ということになるからだ。

パナヒの姪はそんなルールに沿った作品を撮ろうと、車内から路上にカメラを向ける。ところが、結婚したカップルを撮ったつもりが、拾った金を自分のものにする少年の姿が入ってしまう。そこで少女がとる行動が実に興味深い。彼女は少年を呼び寄せ、金を持ち主に返すように説得する。それを撮影すれば、問題は解消され、上映可能な作品になると考えるのだ。

その身なりから、金を落とした新郎が裕福で、少年が非常に貧しいことは一目瞭然だが、小学生で、しかも上映可能な映画のことしか頭にない少女には、貧富の格差は問題ではない。だから彼女は、金を落とした人間のためではなく、あくまで自分のために現実を捩じ曲げようとし、本末転倒に陥る。パナヒは、子供のそんな行動を通して歪んだ現実を見事に炙り出してしまう。

また、少女が読み上げたルールは、パナヒが再会する幼なじみのエピソードとも結びつく。その幼なじみはネクタイをして現われる。彼は自宅に防犯カメラを設置する程度の地位にあるが、映画を観ればわかるように、強盗に襲われたことをきっかけに、格差をめぐるジレンマに陥っている。この幼なじみは善人であり、海賊版の業者がパナヒに尋ねたように、これが映画であるのなら、パナヒはルールに違反していることになる。

迷信にとらわれた老女

さらにこの新作では、「強盗」とともにもうひとつ、「女性」も強調されている。交通事故に遭い、タクシーで病院に運ばれる男は、遺言状がないと妻はなにも相続できないと言って、パナヒのスマホを借り、遺言を撮影する。パナヒの知人の女性弁護士は、バレーボールの試合を観戦しようとして拘禁された女性ゴンチェ・ギャワミに会いにいくところだと語る(この実在の女性は、いまは解放されているが、この映画が撮影されているときにはまだ拘禁中で、ハンガーストライキで抗議していた)。

一方では、金魚鉢を抱えたふたりの老女が乗り込んできて、正午までにアリの泉に金魚を放さなければ、自分たちの命がなくなるとパナヒを急かす。迷信にとらわれた彼女たちのエピソードは、イスラム法の下で苦難に直面する女性たちとは無関係に見える。だが、現体制がそのような頑迷な信仰に支えられていると見ることもできるのだ。

パナヒは、タクシーという限定された空間のなかで映画の可能性を押し広げ、イラン社会の核心に迫っている。

《参照文献》
『イラン、背反する民の歴史』 ハミッド・ダバシ 田村美佐子・青柳伸子訳(作品社、2008年)


○『人生タクシー』
4月15日、新宿武蔵野館ほか全国公開
クレジット:(C)2015 Jafar Panahi Productions
http://jinsei-taxi.jp

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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