コラム

英国の緊縮財政のリアルを描く『わたしは、ダニエル・ブレイク』

2017年03月18日(土)12時30分

イギリス政府の緊縮財政政策に対する痛烈な批判が込められている。(C) Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, LesFilms du Fleuve,British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and TheBritish Film Institute 2016

ケン・ローチ監督が引退宣言を撤回して作り上げ、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた『わたしは、ダニエル・ブレイク』には、イギリス政府の緊縮財政政策に対する痛烈な批判が込められている。

2010年に誕生したキャメロン政権は、財政赤字削減の公約を実行するために福祉予算などを大幅に削減し、貧困層の生活状況がより悪化することになった。

滑稽にすら見える福祉事務所職員とのやりとり

ニューカッスルを舞台にしたこの映画の主人公は、妻に先立たれ、ひとりで暮らす59歳の大工ダニエル・ブレイクだ。物語は、ブレイクと女性職員の電話のやりとりから始まる。彼女は政府から委託された民間企業の職員で、ブレイクが受けている支援手当の審査を行うために、彼に様々な質問をしている。

ふたりの会話から、ブレイクが仕事中に心臓発作を起こし、医師から仕事を止められ、支援手当を受けていることがわかる。この場面で、ブレイク役に抜擢されたコメディアンのデイヴ・ジョーンズは、質問に対する苛立ちを実に巧みに表現している。そのやりとりは滑稽にすら見える。

「帽子をかぶるぐらい腕は上げられますか?」「手足は悪くない、カルテを読めよ、悪いのは心臓だ」「電話のボタンなどは押せますか?」「悪いのは指じゃない、心臓だって言ってるだろう」「簡単な事柄を人に伝えられないことは?」「心臓が悪いのに伝わらない」「態度が審査に影響しますよ。急に我慢ができなくなって大便を漏らしたことは?」「こんな質問がつづくと漏らすかもな」

まるでコメディのようだが、笑い事ではすまされない。数日後、ブレイクのもとに「就労可能、手当は中止」という通知が届くからだ。

筆者は、この冒頭のエピソードを観て、これまで疑問に思っていたことがよく理解できた。イギリスでは、緊縮財政の実施後に信じられないような出来事が起こっている。たとえば、2013年にあったリンダ・ウートンという49歳の女性の悲劇だ。80年代に心臓と肺の移植を受けた彼女は、高血圧や腎不全などで10種類の薬を必要とする状態だった。ところが、入院先の病院で命も危ういというときに、就労可能、手当中止の通知が届けられ、彼女はその9日後に死亡した。

要するにこの審査では、個々の対象者の病状などは考慮されず、一方的な質問の答えだけで採点が行われ、就労可能かどうかが判定される。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:戦闘で労働力不足悪化のロシア、インドに照

ワールド

アングル:フロリダよりパリのディズニーへ、カナダ人

ビジネス

NY外為市場=ドル横ばい、米CPI受け 円は週間で

ビジネス

米国株式市場=3指数が週間で下落、AI巡る懸念継続
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:習近平独裁の未来
特集:習近平独裁の未来
2026年2月17日号(2/10発売)

軍ナンバー2の粛清は強権体制の揺らぎか、「スマート独裁」の強化の始まりか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発される中国のスパイ、今度はギリシャで御用
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    【銘柄】マイクロソフトの株価が暴落...「AI懸念」でソフトウェア株総崩れの中、投資マネーの新潮流は?
  • 4
    「ヒンメルならそうした」...コスプレイヤーが消火活…
  • 5
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 6
    【インタビュー】「4回転の神」イリヤ・マリニンが語…
  • 7
    川崎が「次世代都市モデルの世界的ベンチマーク」に─…
  • 8
    中国の砂漠で発見された謎の物体、その正体は「ミサ…
  • 9
    「ドルも弱い」なのになぜ、円安が進む? 「ドル以外…
  • 10
    機内の通路を這い回る男性客...閉ざされた空間での「…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 4
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 5
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 6
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発…
  • 7
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...…
  • 8
    がんは何を食べて生き延びるのか?...「ブドウ糖」の…
  • 9
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日…
  • 10
    50歳には「まったく見えない」...信じられないレベル…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 6
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 7
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 8
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 9
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 10
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story