コラム

台湾映画『太陽の子』と、台湾の「奪われた者」たち

2016年08月20日(土)12時06分

©一期一會影像製作有限公司

nojima160820-4.jpg

©一期一會影像製作有限公司

 映画のなかで、パナイが伝統の稲作の復活を支援団体の人たちにアピールするための演説がある。この映画の最大の見どころの一つだ。パナイはかつて自分の名前が漢民族の「林美秀」という名前で呼ばれていて、ちゃんとした中国語でスピーチすると、学校で賞をもらったエピソードを明かした。しかし、それは「アミ族でない振り」をしてもらった賞であり、最も望んでいなかったことだったと語る。そして、聴衆に向かって「皆さん、こんにちは。私はパナイです」と呼びかけ、「部落の稲穂を取り戻したい」と語るのである。パナイとは、アミ語で「稲穂」であり、ここには、伝統との稲作と自分の本来の名前を取り戻すという二重の意味が込められている。

 この場面には、この映画の「奪われたもの」を取り戻すというエッセンスのすべてが入っていると言っても過言ではない。先住民の名前の付け方には特別な意味がある。先祖の名前、父母の名前、土地にまつわる事物の名前がつけられることが多い。名前には、その土地に生きてきた部族の歴史とアイデンティティが込められている。その名前を支配者の方針に適応するとの理由で、日本名にしたり、中国語名にしたりしてきた数百年の歴史があった。

 いま台湾では法律が改正され、先住民に中国語名を強制させる制度が変えられ、自由に選択できるようになった。若い人の多くは、自らの民族の名前を選ぶとき、戸籍上の漢民族名を先住民語のオリジナルの名前に変更したりしている。主人公パナイを好演したアロ・カリティン・パチラルさんもまた、若いころに自分の名前を漢民族名からアミ族のものに戻した経験の持ち主だ。それだけに、演技においては、自らの体験を投影した迫真の演技となった。もともとは歌手兼テレビの司会者として活躍してきたが、初の映画出演となったこの作品で台湾最高の映画賞である金馬奨で最優秀新人賞にノミネートされるほど高い評価を受けた。

【参考記事】熱狂なき蔡英文の就任演説に秘められた「問題解決」への決意

 今年5月に新総統に着任した蔡英文氏は、この8月1日、正式に、過去の先住民政策に対する全面的な謝罪を行って、台湾内外の大きな注目を集めた。なぜ、現職の総統が、人口比でいえばわずか2%に過ぎない50万人余の先住民たちに頭を下げて過去を悔い改めなければならなかったのか。いささか唐突な印象を持った人も多かったのではないだろうか。この蔡英文の謝罪というニュースを理解するカギはこの映画『太陽の子』によって雄弁に語られている。

 そう、蔡英文の謝罪は「奪った者」が「奪われた者」に謝る行為だったのだ。具体的な清算の方法はもちろん今後の政策課題となる。しかし、まずは謝罪の先にしか、清算も和解もない。それこそが、あの謝罪の意味だった。『太陽の子』はそんな現代政治の核心まで、我々の思考を連れていってくれる映画である。

『太陽的孩子』予告編。日本での上映にあたっては日本語の字幕が付く


*映画『太陽の子』の日本における上映情報はFBファンページからご参照下さい。9月10日から13日にかけて東京、静岡、神奈川などで開かれる上映会では、本作の主演女優であるアロ・カリティン・パチラルさんが来日し、トークや歌を披露します。また本作品の上映プロジェクトについては野嶋剛の公式HPでその経緯や理由を詳しく説明しております。

プロフィール

野嶋 剛

ジャーナリスト、大東文化大学教授
1968年、福岡県生まれ。上智大学新聞学科卒。朝日新聞に入社し、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長(2007-2010)、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾でも翻訳出版されている。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)『銀輪の巨人』(東洋経済新報社)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団』(ちくま文庫)『台湾とは何か』『香港とは何か』(ちくま新書)。『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ヘッジファンド、銀行株売り 消費財に買い集まる=ゴ

ワールド

訂正-スペインで猛暑による死者1180人、昨年の1

ワールド

米金利1%以下に引き下げるべき、トランプ氏 ほぼ連

ワールド

トランプ氏、通商交渉に前向き姿勢 「 EU当局者が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 2
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 7
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 10
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story