コラム

世界が反緊縮を必要とする理由

2018年08月01日(水)17時20分

緊縮から反緊縮へ

マクロ経済政策における反緊縮とは、「赤字財政を可能な限り許容しつつ金融緩和を進めること」と定義できるであろう。要するに「金融緩和プラス拡張財政」である。ただし、不況期には財政赤字を許容すべきという赤字財政主義それ自体は、ケインズ主義の伝統的な政策指針であり、目新しい点はまったくない。近年における反緊縮主義が旧来の赤字財政主義と異なるのは、その赤字財政が必ず金融緩和とセットになっているという点にある。この「金融緩和に裏付けられた赤字財政」というマクロ経済政策のあり方が「反緊縮」と呼ばれているのは、それがとりもなおさず、2010年頃から世界的に浸透し始めた経済政策における緊縮(Austerity)へのアンチテーゼとして提起されていたからである。

2008年9月のリーマン・ショックを契機として「百年に一度の世界経済危機」が生じたとき、各国政策当局はまず、景気対策の定石通り、財政拡張政策と金融緩和政策によってそれに対応しようとした。そして、それらの政策によって、世界は少なくともかつての世界大恐慌のような経済的大惨事の再発を防ぐことには成功した。とはいえ、2009年頃の各国の経済収縮はきわめて深刻であり、多くの国が政府財政の急激な悪化に直面した。

そこに生じたのが、2010年5月のギリシャ・ショックであり、それに続く欧州債務危機であった。それを契機として、各国の財政スタンスは、拡張から緊縮へと、まさに急転回することになる。とりわけ、債務危機の震源である欧州では、各国に対して財政規律の確保を強く求めるドイツの主導の下で、厳格な財政引き締め、すなわち増税あるいは歳出削減が実行された。その結果、ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの南欧の債務危機国では、経済が急激に縮小し、若年層の失業率が50%近くあるいはそれを超えるまでにいたった。

アメリカでは、ティーパーティーと呼ばれる草の根保守派が、政府財政赤字の拡大を問題視し、「アメリカ経済が低迷しているのは財政赤字のせいだ」といったプロパガンダを始めた。そして、それに後押しされた共和党が、政府債務の上限引き上げ拒否という議会戦術に打って出た。それはその後、強制歳出削減に伴う「財政の崖」と呼ばれる一大騒動をもたらした。

その状況は日本でも同様であった。2009年9月に発足した民主党政権は、少なくともその政権獲得当初は「消費税増税は当面は行わない」ことを明言していた。しかし、2010年春にギリシャ・ショックが生じて以降は、消費税増税問題が与野党を巻き込む最大の政策的争点となった。未だに喉に刺さったトゲのごとく日本経済に痛みを与え続けている、民主党・野田佳彦政権下の2012年夏に成立した「消費税引き上げの三党合意」は、その帰結である。

反緊縮とは要するに、こうした形で世界的に推し進められていった財政緊縮への政策的アンチテーゼである。そこで金融政策の役割に改めて焦点が当てられるようになったのは、金融緩和は赤字財政主義を貫徹するためにも必要不可欠であることが、まさにこの財政危機から財政緊縮にいたる経緯の中で明らかになったためである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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