コラム

ニュースにならない被災地の記憶

2012年03月09日(金)09時00分

 記憶と言うのは、あっという間に風化するものだ。あれほど忘れまいと目に焼き付けてきたはずの光景が、1年が経つ今、既に断片的にしか思い出せない。

 取材メモを取り出すことはできる。だが、やめておくことにした。今、記憶として蘇ってくるシーンが、実は心に深く刻まれていることかもしれないからだ。思い出すまま、徒然に――。

 宮城県沿岸部を訪れたのは、震災から約2週間後だった。仙台市内のホテルに宿泊するため、仙台に住んでいる友人に「何か東京から持ってきてほしいものはある?」と聞くと、返ってきたのは「酒」という答え。やっぱりな。被災しても、欲しいものはそうそう変わるもんじゃない。そう妙に納得したものだ。

 仙台市内はガスが止まっていたため、ホテルにはお湯も暖房もなかった。夜は寒くて眠れなかった。避難所はどんなに寒いだろう、と思った。朝ロビーに行くと、「朝食、こんなものしか用意できず申し訳ありませんが」と案内された。具なし味噌汁と、野球ボールのような塩むすび。市内のコンビ二では棚が空っぽで、スターバックスに「しばらく休業します」と書かれた紙が貼られていた頃のことだ。ホテルの方の気遣いが嬉しかった。

 タクシーで沿岸部に向かった日は、快晴だった。青空が広がる被災地は、とてつもなく悲しかった。すべてが嘘のようだった。

 どこから取材すべきか、情報収集のために名取市役所に向かった。市役所内には、「行方不明者の伝言板」が設置されていた。「探してます!」「お願いだから連絡ください」といったメッセージが重なり合うようにして貼られていた。個人情報など一切お構いなしで、手書きの電話番号がいくつもあった。子供たちの写真もあった。

 取材のため、避難所を転々とした。避難している若い女性たちは、みんなマスクをつけていた。眉毛がなかった。「化粧水とか、どうしてるんですか?」とおそるおそる聞くと、流れてきた試供品を使っているという。まだ化粧品=「嗜好品」という意識が働き、支援物資などでも遠慮されていたときだ。だが、被災者に「あったら嬉しいか」と聞くと、そう聞いてくれるのを待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべた。

 肉親が見つかっていないという被災者を相手に、淡々と取材をこなした。不思議と、目の前で起きていることがリアルに感じられなかった。心が凍りついたまま、耳だけで聞いているような感覚だった。心で聞いたら自分も崩れてしまうから、無意識的にそうしているのか。それとも、自分には本当に心がないのか。自問自答しながら、怖くなった。

 ホテルに戻って、原稿を書こうと独りパソコンに向かった。テレビでは、「音楽で被災地にエールを」という趣旨の歌番組をやっていた。何の歌かは忘れてしまったが、聴いた途端にぶわーっと涙が噴き出してきた。「今まで涙が出なかったのに、このタイミング? ふつう歌番組で泣くか?」と思いながらも、泣いていた。少なくとも、五感は凍っていなかったということなのだろう。

 感情が抑えられなくなって、どうにかしようと東京にいる妹に電話してみたものの、何も伝えることができなかった。ただ、その日に取材した被災者の顔が、いくつもいくつも浮かんでは消えた。忘れてはいけない――そう思った。


 先月、被災地での取材から帰ってきて、上司にはこう報告した。「被災地は、まったく復興していませんでした。変わっていませんでした」。

 だが、それは間違っていた。たしかに今も復興はしていないし、残念ながら復興への道筋も見えない。それでも、あの日に比べれば、被災地は確実に変わった。瓦礫が片付けられ、避難所から仮設住宅に移り、少しずつでも笑顔が戻った人もいる。風化する記憶をたどれば、小さな一歩にでも、少しの希望を見ることができるのかもしれない。

――編集部・小暮聡子

追記:非被災者の記憶が薄れていくのとは裏腹に、被災地ではむしろ3月11日の記憶が日増しに鮮明になり、心に重くのしかかってくるという声を多く聞きました。今週水曜発売の本誌カバー特集は、「3・11大震災、1年後の現実」。日本中で叫ばれる「絆」は本当に被災地を救ったのか、見落とされがちな1年後の現実に迫りました。

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

冷戦時代の余剰プルトニウムを原発燃料に、トランプ米

ワールド

再送-北朝鮮、韓国が軍事境界線付近で警告射撃を行っ

ビジネス

ヤゲオ、芝浦電子へのTOB価格を7130円に再引き

ワールド

インテル、米政府による10%株式取得に合意=トラン
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋肉は「神経の従者」だった
  • 3
    一体なぜ? 66年前に死んだ「兄の遺体」が南極大陸で見つかった...あるイギリス人がたどった「数奇な運命」
  • 4
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 5
    『ジョン・ウィック』はただのアクション映画ではな…
  • 6
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 7
    これぞ「天才の発想」...スーツケース片手に長い階段…
  • 8
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 9
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 10
    顔面が「異様な突起」に覆われたリス...「触手の生え…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 6
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 7
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 8
    「このクマ、絶対爆笑してる」水槽の前に立つ女の子…
  • 9
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 10
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story