コラム

中国の「激怒」を読み解くヒント

2010年10月05日(火)17時41分

 ぎくしゃくしていた日中両国の首脳が4日、ベルギーでやっと顔を合わせた。会談では両首相とも「尖閣は自国領土」というこれまでと何ら変わらない主張を繰り返したというから、日中双方が派手に撃ち合った「尖閣紛争」は結局、事実上の棚上げという元の鞘に収まったことになる。ただ今回想定外の強い怒りを示した中国政府が、次回同じ問題がくすぶったときに控えめな対応でコトを収めるとは思えない。問題の本質は何も解決されていない。

 日本政府が中国の怒りの度合いを読み違えた(筆者もそうだったが)理由はいくつかある。中国の海洋権益に対する神経過敏さが想像以上だったことも1つの理由だが、それ以上に日本政府と日本人は尖閣が日中間の漁業をめぐる問題だということへの理解が足りなかった。ここに中国の怒りを読み解くヒントがある。

 日本と中国は1997年に東シナ海を対象とする漁業協定を結んだ(発効は2000年)。ところが「経済国境」であるEEZ(排他的経済水域)内での双方の権利について定めた協定なはずなのに、尖閣諸島の領有権が棚上げされているため、肝心のEEZの境界画定は先送りされた。

 代わりに決まったのが、尖閣の北約100キロの平行四辺形型の海域を「暫定措置水域」と名づけ、とりあえず双方の漁民に自由な漁を認めること。この暫定措置水域の中では取り締まりができるのは自国の船だけで、相手国の違反船がいても現場でできるのは「注意喚起」と「相手国への通報」だけだ。

 で、尖閣周辺である。協定上は何をどうするとも決まっていないのだが、現実には双方の漁民は自由に漁をして、日中両国はそれぞれの自国民の違反行為だけを取り締まる、という暫定措置水域に準じる対応が取られてきた。ただ領海内は別で、日本の海上保安庁は「領海内」をパトロールし、操業している中国船を見つけると退去させてきた(ちなみに領海内を通行するだけの中国漁船には「無害通行権」があり、海保は妨害できない)。

 尖閣周辺の海保のパトロールと「取り締まり」を認めてきたのだから、見方を変えれば中国側は事実上、日本の尖閣諸島の実効支配を黙認してきたともいえる。日本の実質的な支配を認める代わりに中国漁民の操業を認めさせる――という現実的な選択をしてきた中国政府が今回キレたのは、ひとえに海保が船長逮捕というこれまでの一線を越える措置に踏み込んだからだ。

 逮捕の直接の容疑は漁船を巡視船にぶつけたという公務執行妨害罪である。事件直後の9月8日付朝日新聞朝刊の記事によると、7日の衝突直前の状況は以下のようだったらしい。


海保などによると、船長は同日午前10時56分ごろ、久場島の北西約15キロの日本領海上で、巡視船「みずき」(197トン)の再三の停船命令に応じず、急に方向を変えて左前方のみずきに左舷を衝突させ、みずきの公務の執行を妨害した疑いがある。

 これまでなら退去させて終わりだったのに停船命令をしながら追い回し、挙句の果てに船がぶつかったら公務執行妨害だと言って逮捕した――中国側は事件をこのように受け止めている。レアアースの事実上の禁輸、フジタ社員の拘束と強硬な制裁が続いた背景には、中国政府が今回感じた理不尽さが反映されているはずだ。

 海保の対応がやり過ぎだったのか、それともやり過ぎは中国人船長のほうか。それが明らかになるのは海保が撮影したビデオが公開されたときだが、法務当局から国会に提出されたとして果たして国民全員に公開されるのかどうかまだ分からない。

「これまでは穏便にすませてきたのに、なぜあえて今回は逮捕に踏み切ったのか。民主党代表選の真っ最中だったことと無縁ではないはず。民主党政権は官僚にはめられたのかもしれない」と、法政大学の中国人政治学者、趙宏偉教授は指摘している。

 読売新聞によれば、民主党の山口政調副会長が先月末に訪中したとき、中国外務省の日本担当幹部が「自民党には知恵があった」と、民主党への不快感を伝えていたという。この「知恵」の話、なんとなく趙教授の指摘と符合する。

――編集部・長岡義博

 

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=ダウ436ドル安、CPIや銀行決算受

ビジネス

NY外為市場=ドル急伸し148円台後半、4月以来の

ビジネス

米金利変更急がず、関税の影響は限定的な可能性=ボス

ワールド

中印ブラジル「ロシアと取引継続なら大打撃」、NAT
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パスタの食べ方」に批判殺到、SNSで動画が大炎上
  • 2
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機…
  • 5
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 6
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中…
  • 7
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 8
    「オーバーツーリズムは存在しない」──星野リゾート…
  • 9
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 10
    歴史的転換?ドイツはもうイスラエルのジェノサイド…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story