ヌーベルバーグを議論する黒沢清たちを横目に麻雀ばっかりやっていた......そんな僕の『勝手にしやがれ』体験
こうして僕のヌーベルバーグ体験は終わる。大学の映画サークルの仲間だった黒沢清や万田邦敏や塩田明彦たちが、ゴダールはとかトリュフォーがとか議論しているのを横目にしながら、僕は麻雀ばっかりやっていた。
彼らが撮る8ミリ映画がヌーベルバーグの影響を受けていることは明らかで、ヌーベルバーグになじめない自分に少しだけ引け目はあった。
例えれば、ビートルズばかり聴いてストーンズは知らない、みたいな感じかな。ロックばかりでジャズは聴かないとか。この連載においても、ヌーベルバーグは1本もないな、とずっと思っていた。だから書いてみよう。ならば観返さないと。そうなるとやっぱりこれしかない。
観終えて思う。やっぱり駄目だ。例えばミシェル(ジャンポール・ベルモンド)が運転する車に乗り込んだパトリシア(ジーン・セバーグ)との対話のシーン。映像はずっとパトリシアの顔だけ。対話なのにミシェルのカットは1つもない。車のサイレンなど無関係な音が唐突にインサートされる理由も分からない。
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