コラム

冷酷で優しい『永い言い訳』は女性監督の強さ故か

2020年11月20日(金)11時10分
冷酷で優しい『永い言い訳』は女性監督の強さ故か

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<破調と乱調、これが随所にちりばめられている。相反する要素を絡み合わせて物語に紡ぎあげるのは、二律背反を身のうちに抱え込む西川美和ならでは>

今さら書くまでもないことだけど、映画は社会の空気や動きに対して敏感であらねばならない。当然だろう。社会のある断面を切り取り、そこにテーマやメッセージ、願いや思いを投射するのだ。社会と分離していては成り立たない。ところが映画監督という職業にフォーカスしたとき、社会の動向からとても遅れている要素があることに気が付いた。

ジェンダーだ。

もちろん、男女差別や女性の社会進出をテーマにした映画は少なくない。特に最近は増えている。問題は監督だ。圧倒的に男が多い。世界的にその傾向が強いけれど、特に日本映画において、この傾向は顕著だ。この連載でも、これまで女性監督の作品を取り上げたことはない。

実は今回、こんな書き出しにするつもりはなかった。でもふと気が付いた。例えば文芸や漫画など他の表現分野の担い手に比べ、映画監督は圧倒的に男性優位だ。理由は分からない。制作現場における監督を頂点とするヒエラルキーが、封建的な構造となじみやすいのか。誰か教えてほしい。

ただし今回は、意識的に女性監督の作品を選んだわけではない。原稿を書こうとして、そういえば初めての女性監督だと気が付いた。つまり選んだ理由は純粋に作品。連載が決まったときから、西川美和はいつか書かねば、と思っていた1人だ。

『蛇イチゴ』と『ゆれる』にはとにかく圧倒された。『ディア・ドクター』も脚本の妙に驚かされた。今回取り上げるのは最新作『永い言い訳』。これまでの全ての作品と同様、西川は監督だけでなく脚本も務める。

やはり改めて実感するのは、ディテールの描写だ。とにかく繊細。立ち上がった幼い女の子が駆け寄ろうとして布団につまずく(あれが演出ならすごい)。カップヌードルを喉に詰まらせた陽一(竹原ピストル)が咳き込むタイミングの絶妙さ。なぜ学芸員の鏑木を吃音(きつおん)という設定にしたのだろう。微細な要素が複雑に絡み合い、壮大なゴシック建築のように映画として屹立(きつりつ)してゆく。

ただし西川は物語を壊す。主人公の衣笠(本木雅弘)は相当に下劣で自分本位な男だ。テレビドキュメンタリーの被写体になることを承諾したときは、僕は観ながら「受けるのかよ」と思わずつぶやいた。ストーリーテリングの定石としては、絶対に拒絶する場面だ。ラストの出版(ネタバレになるから詳しくは書けないが)にも、「結局は書いたのかよ」と吐息をつきたくなった。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

ニュース速報

ビジネス

焦点:今年の株主提案は環境が「主役」か、鍵握る資産

ワールド

サウジ皇太子、カショギ記者殺害を承認 米が報告書

ワールド

米FDA諮問委、J&Jワクチンの緊急使用許可を勧告

ビジネス

米国株まちまち、ナスダック小反発 ハイテク株が盛り

MAGAZINE

特集:ルポ新型コロナ 医療非崩壊

2021年3月 2日号(2/24発売)

第3波の日本で「通常」の医療体制は崩壊したが現場には硬直した体制を変え命を守った人々もいた

人気ランキング

  • 1

    バブルは弾けた

  • 2

    トルコ宗務庁がトルコの有名なお土産「ナザール・ボンジュウ」を許されないとした理由

  • 3

    弁護士の平均年収は4割減 過去十年で年収が上がった職業、下がった職業

  • 4

    がら空きのコロナ予防接種センター、貴重なワクチン…

  • 5

    コロナ危機が招いた株価バブルは2021年に終わる

  • 6

    日本の電波行政を歪めている真犯人はだれか?

  • 7

    タイガーが暴露症の女ばかり選んだ理由(アーカイブ…

  • 8

    大口投資家がビットコインの買い占めに走り、個人投…

  • 9

    株価が上がっているのに、「価値の下がっているモノ…

  • 10

    バイデンが提唱する対中連携を拒否 シンガポールが…

  • 1

    屋外トイレに座った女性、「下から」尻を襲われる。犯人はクマ!──アラスカ

  • 2

    中国はアメリカを抜く経済大国にはなれない

  • 3

    バブルは弾けた

  • 4

    トランプにうんざりの共和党員が大量離党 右傾化に…

  • 5

    動画で見る、トランプ時代の終焉の象徴

  • 6

    がら空きのコロナ予防接種センター、貴重なワクチン…

  • 7

    ロシアの工場跡をうろつく青く変色した犬の群れ

  • 8

    弁護士の平均年収は4割減 過去十年で年収が上がった…

  • 9

    あらゆる動物の急所食いちぎり去勢も? 地上最凶の…

  • 10

    アメリカの顔をした中国企業 Zoomとクラブハウスの…

  • 1

    フィット感で人気の「ウレタンマスク」本当のヤバさ ウイルス専門家の徹底検証で新事実

  • 2

    ロシアの工場跡をうろつく青く変色した犬の群れ

  • 3

    屋外トイレに座った女性、「下から」尻を襲われる。犯人はクマ!──アラスカ

  • 4

    さようならトランプ、負債3億ドルと数々の訴訟、捜査…

  • 5

    新型コロナ感染で「軽症で済む人」「重症化する人」…

  • 6

    韓国メディアが連日報道、米日豪印「クアッド」に英…

  • 7

    中国はアメリカを抜く経済大国にはなれない

  • 8

    全身が泥で覆われた古代エジプト時代のミイラが初め…

  • 9

    現役医師が断言、日本の「ゆるいコロナ対策」が多くの…

  • 10

    バブルは弾けた

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

投資特集 2021年に始める資産形成 英会話特集 Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
CCCメディアハウス求人情報
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
Wonderful Story
メールマガジン登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら
World Voice

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

絶賛発売中!