コラム

日米FTAの交渉が始まった事実は隠せない

2018年11月16日(金)19時32分

日本とアメリカは世界有数の貿易大国であり、その二カ国が貿易協定を結ぶ影響は大きい。その二カ国がGATT第24条に反する自由化のレベルの低い貿易協定を結ぶようなことが仮にあれば、それはWTO体制を崩壊させかねない。アメリカはいざ知らず、国際社会における法の支配を重視する日本としてはWTOルールに沿った貿易協定を目指すはずであり、アメリカと貿易協定を結ぶとすればそれはFTAか、もしくはFTAを含みこんだEPAであるはずで、FTA未満の貿易協定ということはありえないのである。

そう考えれば、bilateral trade agreementを「FTA」とするのは、正しい親切な訳というべきで、これを誤訳として訂正するのは本質を覆い隠す策動としか思えない。これは要するに安倍首相がこれまで国会などで、日米間で交渉に入ったのは「物品貿易協定(TAG)であり、FTAではない」と説明してきたことと辻褄を合わせるためらしい。

ただ、幸か不幸か英語教育とインターネットの普及のおかげで、日本国民はアメリカ側が目指しているものがFTAであることを簡単に知ることができる。まさに「頭隠して尻隠さず」のたとえ通り、西村官房副長官が無意味な訂正を行ったこと、そして独立した報道機関であるべきNHKが「官房副長官はこう言ってますが、実際のところは日米FTAに向けた交渉に入ったということです」と解説する代わりに官邸に盲従していることが白日のもとにさらされた。

トランプ政権の無体な要求は拒絶せよ

言葉の問題はさておき、就任以来、「アメリカ第一」の保護主義を標榜し、TPPを離脱したり、鉄鋼・アルミに関税を上乗せしたり、中国からの輸入に広く課税したりと、やりたい放題だったトランプ政権と日本がFTAの交渉に入ったということは、日本にとってむしろチャンス到来だと受け止めることができる。日本としてはTPP加入をめぐる厳しい国内での議論のなかで一応アメリカとの貿易自由化に対する心の準備はできたはずだ。アメリカがTPPに戻ってきてくれることが最善であるものの、アメリカがTPPはどうしてもいやだというのであれば、TPP並みの条件で日米FTAを結ぶことを交渉の着地点として目指すべきであろう。

トランプ大統領の口ぶりからすると、かつての日米貿易摩擦で実施されたような日本の輸出自主規制や、アメリカからの輸入に関する数量目標の設定といった自由貿易に反するような要求がアメリカ側から飛び出してくる懸念がある。さらに、米韓FTAではアメリカの自動車安全基準を韓国側が受け入れるという一方的な項目が盛り込まれたり、先ごろ合意したアメリカ・メキシコ・カナダ協定(USMCA)では、加盟国が中国とFTAを結ぶことを実質的に制限するような条項が入った。日本政府がそうしたアメリカからの無体な要求は断固としてはねつけ、自由・無差別というWTO・GATTの基本精神を堅持し、国民にも他国にも申し訳の立つような立派な日米FTAを結ぶことを期待したい。

プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=下落、ハイテク株に売り エヌビディア

ビジネス

NY外為市場=円が対ドルで上昇、介入警戒続く 日銀

ワールド

トランプ氏「怒り」、ウ軍がプーチン氏公邸攻撃試みと

ワールド

トランプ氏、ガザ停戦「第2段階」移行望む イスラエ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 5
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 6
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 7
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 8
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 9
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 10
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 7
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 8
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story