コラム

「千人計画」だけを敵視する、読売新聞の世界観

2021年09月22日(水)18時00分

HISAKO KAWASAKIーNEWSWEEK JAPAN

<「千人計画」だけを批判する論調には決定的な視点が欠けている。日本はとっくに科学技術大国の座から転げ落ちつつあるのだ>

今回のダメ本

ishido-web_2_210922.png中国「見えない侵略」を可視化する
読売新聞取材班[著]
新潮新書
(2021年8月20日)

本書のベースになった読売新聞取材班による一連の「スクープ」は、少なくない在中国の日本人科学者を震撼させた。理由は、事の本質が全く理解されていないような記事が連発されたことだ。確かに取材だけはしているのだが......。

本書も含めて読売報道の基本的なロジックは、中国の軍事研究、もしくは軍事研究につながりかねない研究である「千人計画」に、日本人の優秀な科学者が参加しており、日本人科学者は結果的に中国の軍事研究に加担しているというものだった。果たして、どの程度妥当なのか。

私も渦中の在中科学者などに取材して調べた範囲では、そのような事実は一切なかった。一見すると仰々しい中国の「千人計画」なるものの実態は、単なる研究支援政策だ。中国では、国内のトップ大学出身の優秀な若手がアメリカの有力大学に留学したまま帰国しないことが長らく問題視されてきた。事実上、アメリカの大学の人材供給機関になってしまったことに危機感を抱いた中国政府は、彼らを呼び戻すための政策が必要だと考えていた。そこで打ち出されたのが「千人計画」だ。

読売新聞は、千人計画に参加した日本人科学者の中に「中国軍に近い『国防七校』と呼ばれる大学に所属していた研究者」がいたことを問題視する。「国防七校とは、中国の軍需企業を管理する国家国防科学技術工業局に直属する北京航空航天大、北京理工大、ハルビン工業大、ハルビン工程大、南京航空航天大、南京理工大、西北工業大の七大学を指す」(同書より)

だが、これも冷静に考えればおかしい。在中科学者からは「軍民両用も含めた軍事研究として予算が割かれる研究は、国防上の理由から中国国籍の有無、そしてバックグラウンドの調査が入る。大学の所属と研究内容は全く別物」という至極当たり前の批判が上がる。読売が懸念するように基礎科学の研究であっても、軍事技術に応用することは不可能ではない。ただし、全く同じ理屈で心理学や日本文学研究であっても軍事に応用することは可能だ。物事にはグラデーションがあるという現実が、決定的に欠けている。

プロフィール

石戸 諭

(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。本誌の特集「百田尚樹現象」で2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を、月刊文藝春秋掲載の「『自粛警察』の正体──小市民が弾圧者に変わるとき」で2021年のPEPジャーナリズム大賞受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)、『ニュースの未来』 (光文社新書)など

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがイラン再攻撃計画か、トランプ氏に説明へ

ワールド

プーチン氏のウクライナ占領目標は不変、米情報機関が

ビジネス

マスク氏資産、初の7000億ドル超え 巨額報酬認め

ワールド

米、3カ国高官会談を提案 ゼレンスキー氏「成果あれ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 5
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 8
    「信じられない...」何年間もネグレクトされ、「異様…
  • 9
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 10
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 9
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story