マクロスコープ:生活賃金の導入、日本企業に広がる 最賃では「暮らせない」

10月3日、最低賃金より高い「生活賃金」の支払いを約束する日本企業が増え始めた。写真は2021年8月、都内のスカイツリーから撮影(2025年 ロイター/Marko Djurica)
Yusuke Ogawa
[東京 3日 ロイター] - 最低賃金より高い「生活賃金」の支払いを約束する日本企業が増え始めた。食品をはじめとした物価高が続く中、パートや契約社員など非正規雇用者を中心に家計のやりくりが苦しくなっているためだ。企業側は従業員の待遇改善を訴求して採用力の強化につなげるほか、人権問題を重視するESG投資家からの評価を高める狙いもある。
「従業員が良好な生活の質を維持できるよう、生活賃金を提供することを約束する」。半導体大手のルネサスエレクトロニクスは、2024年12月期の有価証券報告書で生活賃金について初めて触れ、今期中に日本を含む各国で賃金体系の見直しを実施すると明記した。花王も昨年度の有報で初めて記述し、適正な賃金のあり方について議論を開始した。
生活賃金は法的に定められた最低賃金とは異なる概念で、企業が自主的に導入する。国際労働機関(ILO)は昨年、生活賃金を「労働者とその家族が適切な生活水準を保てるために必要な賃金水準」と定義し、最低賃金から生活賃金までの段階的な引き上げを確実に行うべきだと指摘した。
賃金をめぐる議論が活発化しているのは、新型コロナウイルス流行やウクライナ戦争などを背景に、先進国で記録的な物価高が起きたためだ。最賃制度の想定を上回って外部環境が急激に変化し、暮らしに困窮する労働者が増加した。全米トゥルー・コスト・オブ・リビング連合が昨年公表した調査では、米国内の中間所得層の約7割が「経済的に苦しく、改善が期待できない」と回答。約半数は貯金もほとんど出来ていなかった。
日本も同様、実質賃金マイナスの状況が続く中、コメなどの食品高騰が家計を圧迫している。第一生命経済研究所の星野卓也主席エコノミストの試算によると、最低賃金周辺の水準で働く労働者は総労働力人口の約1割にあたる約700万人に達する。連合が24年に算出した都道府県別の生活賃金では、東京都は時給1350円だった。今月3日改定の新たな水準(1226円)でもまだ足りていない計算になる。
<総裁選でも論戦、実効性は未知数>
賃上げは政府内でも政策の最優先課題と位置づけられ、石破政権で経済再生担当相を務めてきた赤沢亮正氏は1日、都内での講演で「いまの最低賃金だと、フルタイムで働いても暮らしていくことは極めて困難」との認識を示した。生活賃金には触れなかったが、最賃自体の引き上げの重要性を説いた。
賃金を巡っては、4日投開票の自民党総裁選でも重要なテーマとなった。小泉進次郎氏が2030年度までに平均賃金100万円増を目指すとし、林芳正氏は1%程度の実質賃金上昇の定着を掲げた。高市早苗氏はコスト高から中小企業を守り、賃上げを可能にする環境整備をするとした。ただ、従来の発想の延長線上にとどまるとの見方もあり、新総裁の下でどこまで実効性のある対応策がとられるかは見通せない。
<味の素やファストリも、ESG投資を意識>
こうした中、味の素や森永製菓、ファーストリテイリングなどの大手企業が相次ぎ生活賃金について言及している。大和総研の中澪研究員は「人手不足感が強まる中、待遇改善によって採用競争力を高める狙いがある」と説明した上で、「人権施策の一環として取り組んでいる企業が多い」と話す。近年、欧米では、ESG(環境・社会・企業統治)の観点から、企業に生活賃金の支払いを求める株主提案が出されているためだ。
例えば、英資産運用会社のリーガル・アンド・ジェネラル・インベストメント・マネジメント(LGIM)は昨年、小売大手ウォルマートの株主総会に、生活賃金制度の策定を求める案を提出した。ウォルマートは23年に店舗従業員の最低時給を14ドルに引き上げていたが、LGIM側は生活賃金を時給約25ドルと計算。「生活賃金を保障しない賃金制度は経済全体に有害であり、ひいては株主の利益にも悪影響を及ぼす」と主張した。
同案は総会で否決されたが、人材の確保・定着が改善されれば、企業の業績向上につながるため、日本でも同様の株主提案が出てくる可能性がありそうだ。
(小川悠介 編集:橋本浩)