コラム

中国の「国策」映画を日本人が無視できない訳

2013年11月18日(月)09時00分

今週のコラムニスト:李小牧

〔11月12日号掲載〕

 日本の映画ファンや欧米のジャーナリストから最近、酷評されている中国映画があるのをご存じだろうか。

 中国映画といえば、かつては陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄土地(黄色い大地)』や張芸謀(チャン・イーモウ)の『紅高粱(紅いコーリャン)』、最近でも賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の『三峡好人(長江哀歌)』などが海外の映画賞を受賞している。どれも中国の現実を直視しながら、映画としての楽しさと芸術性を兼ね備えた実力派映画で、海外の批評家から高い評価を受けてきた。

 先日の東京国際映画祭で上演された『オルドス警察日記』は、中国の辺境である内モンゴル自治区オルドス市で、激務の末に41歳の若さで急死した実在の警察署長の生きざまを描いた作品だ。主演の王景春(ワン・チンチュン)は、同映画祭で最優秀男優賞を勝ち取った。これが「中国の警察を美化するプロパガンダ映画」と批判されているのだ。

 映画の舞台になったオルドスは石炭が豊富に採れるため豊かになり、中国のバブル経済を象徴する街として知られる。最近はバブルがはじけて「鬼城(ゴーストタウン)」化しているが、この矛盾だらけの街で起きるさまざまな問題に、女性監督の寧瀛(ニン・イン)は警察署長の人生を通じて切り込んでいる。

 確かに中国の警察といえば、ネットでのちょっとした冗談を理由に市民を「国家政権転覆扇動罪」で逮捕するコワモテの側面ばかりが伝えられている。いわば良識派の敵だ。ただ日本の映画ファンや欧米のジャーナリストは気付かなかったかもしれないが、この映画が取り上げた問題はどれも、中国映画がこれまで取り上げることができなかったタブーである。

 例えば、賃金のあまりの安さに怒った出稼ぎ農民たちのストライキやデモという共産党政権にとっての「恥部」を遠慮なく描き出している。年間30万件の暴動が中国では起きているが、国内のテレビや映画でその現実が描かれることはまったくない。署長が十分な治療を受けられず死んだことは医療問題を、そもそもこんなまともな警察署長がたった1人しかいないという事実は、中国の警察が抱える暗闇を雄弁に物語っている。

■「理想」だけでは変わらない国

 この映画には地元の共産党や警察組織が協賛している。そういう意味では、外見上はプロパガンダにしか見えないだろう。映画には莫大なお金が掛かる。情熱や理想、才能だけでは完成できない。監督の寧瀛は中国政府の力を利用しながら、自分の撮りたい映画を完成させたのだ。日々、頭の固い共産党との「討価還価(タオチアホワンチア、駆け引き)」を繰り返している中国人にとって、妥協は必ずしも悪ではない。理想だけで中国の現実は前に進まない。

 この映画は、日本と日本人にとって「ただのプロパガンダ」と無視できる中身でもない。なぜならここで取り上げられたある問題をこのままま放置すれば、2020年に行われる東京オリンピックに必ず影を落とすからだ。

 映画の舞台であるオルドスで豊富に採れる石炭は、この地域に深刻な環境汚染をもたらしている。冬にスチーム暖房の燃料として使われる石炭は、車の排ガスと並んでPM2・5の主な原因。オルドスはいわば「PM2・5の古里」だ。

 内モンゴル自治区は毎年日本にやって来る黄砂の発生源でもある。黄砂に乗ったPM2・5に日本中が恐怖したのは、まだ今年のこと。この汚染物質が中国から今以上に日本に飛んでくることになれば、日本や東京のイメージダウンは避けられない。中国では環境問題が人権問題、労働問題、さらに民主化とも深く関わり、社会を不安定化させている。

 この作品で、私は生まれて初めて同じ映画を2回見る体験をした。2回目も私の目は涙であふれた。もちろん、その涙は感動ゆえ。最近また発生したPM2・5が、海を越えて私のところに飛んできたからではない(笑)。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

7月第3次産業活動指数は2カ月ぶり上昇、基調判断据

ビジネス

テザー、米居住者向けステーブルコイン「USAT」を

ワールド

焦点:北極圏に送られたロシア活動家、戦争による人手

ビジネス

ソフトバンク傘下PayPay、日本国外で利用可能に
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 3
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く締まった体幹は「横」で決まる【レッグレイズ編】
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 6
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story