コラム

ネクタイも背筋も緩めて「ルーズビズ」の夏を

2011年07月25日(月)09時00分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔7月20日号掲載〕

 先日、中央線に乗ったときのこと。私の目は1人の女性にクギ付けになった。目を引くような美女だったからではない。あまりに「きちっと」していたのだ。新宿までの30分間、彼女は微動だにせず座っていた。背筋をぴしりと伸ばして胸を張り、そろえた足は20度の角度に傾けている。芸者かバレリーナの卵だろうか。いや、ひょっとしたらニンジャ?! ハンカチで額の汗を拭ったときですら、そのしぐさはきちんとしていた。

 しかし東京では、こうした自制の利いた所作に出合うことなど珍しくない。ロンドンの人々はパブの壁にもたれ、背中をたたき合う。パリではセーヌ川に架かる橋の上で他人の目を気にせずピクニックをする。ニューヨーカーは街角で何時間でもだべる。だが東京では一服する喫煙者さえ、兵隊のような「気を付け」の姿勢だ。

 東京のボディーランゲージは厳格で控えめ。外国の人々が「こんな汗だくで人目なんか気にしていられるか」とだらける酷暑の夏も、東京人は姿勢を崩さない。エアコンが効き過ぎたオフィスで体が凍り付いたならともかく、湿度が90%近いのに背筋を伸ばしていられるのは尋常ではない。

 アメリカ人の目に、東京人の大半は緊張しているように見える。電車内で本を読むときも、頭に腕を載っけたり背中をかいたりせず、試験中のように本に集中している。路上でも喫茶店でも、鬼教師に監視されている小学生のように背筋を伸ばし、何やら忙しそうだ。そんな人々を見るたび、私は隣の生徒にジョークを耳打ちする現場を教師に見られた子供のようにナーバスになる。

■居眠り中も自制を忘れない

 東京で長年暮らすうちに、私はアメリカ人らしい立ち方や歩き方をするのをやめた。中央線のあの女性の域には達しないだろうが、彼女を見て居住まいを正したのは確かだ。少しずつ、私は「ルーズは無礼」という東京式ボディーランゲージを身に付けた。

 だがこの春、石原慎太郎都知事がさらなる「自粛」を求めたときは、笑うしかなかった。これ以上、都民にどう「自粛」しろと言うんだ? 

 もちろん、公共の場でぴしっとしていればスペースの節約になる。中央線でみんながくつろいだら、乗客が乗り切れないだろう。新宿駅をダラダラ歩けば人にぶつかるし、だらしない姿勢では狭い改札口をすっと抜けられない。

 時にはおかしな歩き方やセクシーな歩き方も見掛けるが、自制が利いているのは同じ。アメリカの街角には肩を丸めて歩く人や「俺はのんびり行くぜ」とばかりにダラダラ歩く人が必ずいるが、東京では見たことがない。

 電車で熟睡する東京人の能力は世界的に名高い。これは人々が長年かけて培った自制心をかなぐり捨てる貴重なひとときだ。乗客の頭がプールで泳ぐ子供のようにぴょこぴょこ上下するのを見ると、私までくつろいだ気分になる。「ついに身も心もリラックスしている人に出会えた!」とホッとするのだ。ただし、床に倒れ込む人はいない。自制を保って居眠りできる人口がこれほど多いのは驚きだ。

 東京でだらけた姿を見せるのは、飛び切りの贅沢に近い。人々は心の中でリラックスしていても、それを表に出すことはめったにない。そうすることは、「僕には東京暮らしが強いる緊張感や理性を捨て、ゆったり構える余裕があるんです」と自慢するようなものだ。

 節電が叫ばれるこの夏は、少しルーズになるチャンスかもしれない。ネクタイやスーツの締め付けを逃れれば、涼しいだけでなく心もほぐれる。ただし、クールビズでは足りない。次は「ルーズビズ」を呼び掛けてもらおう。それでもダメなら「スーパー・ルーズビズ」! 電車の床に倒れ込む人も出るだろうが、東京の雰囲気は変わるはずだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:日米為替声明、「高市トレード」で思惑 円

ワールド

タイ次期財務相、通貨高抑制で中銀と協力 資本の動き

ビジネス

三菱自、30年度に日本販売1.5倍増へ 国内市場の

ワールド

石油需要、アジアで伸び続く=ロシア石油大手トップ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story