コラム

遺骨発掘の現場で感じた「戦争の記憶」

2011年03月22日(火)09時00分

今週のコラムニスト:レジス・アルノー

 戸山という地名は、私にとって特別な意味がある。

 私は1949年からある都営戸山ハイツアパートの目の前に住んでいる。高度経済成長期の理想の公営集合住宅だったアパートの周囲には、年配者がゲートボールを、子供が野球を楽しむ戸山公園がある。ここは長女が自転車の乗り方を覚えた場所。次女の保育園は国立国際医療センター戸山病院の隣にあった。

 それだけに、戸山公園の付近で戦時中の捕虜とみられる人骨の発掘調査が始まったという新聞報道はショックだった。この地域では89年に大量の人骨が発見された。今回調査を開始したのは、第二次大戦中に軍医学校の看護師だった石井さんが、45年8月15日の日本降伏後の数週間に無数の遺体や人骨を埋める手伝いをしたと06年に証言した場所だ。発掘される人骨は、有名な「731部隊」による恐るべき人体実験の被験者だった可能性がある。

 この報道を読んだ直後、私は自転車で戸山付近を回ってみた。東京の空は真っ青に澄んでいて、公園は制服制帽姿の生徒たちであふれていた。先生が咲き始めた梅を見せるために連れ出したのだ。きれいな花をよく見てくださいと、先生は言った。

 その数百・先からは、クレーン車が人骨を掘り出す音が聞こえてきた。

 次に近くの病院や診療所へ向かった。医師や看護師は、その瞬間も患者の命を救おうとしていた。医師たちは紀元前4世紀から「何よりもまず患者に害を与えない」という医師の倫理綱領(ヒポクラテスの誓い)に従ってきた。

■戦争の「記憶喪失」に陥る日本人

 だが戸山周辺には、ナチスの医者たちと同じようにヒポクラテスの誓いに背いて、日本人医師が行った人体実験の「副産物」が埋まっているかもしれない。

 私は次女の卒園式の会場として使われた国立国際医療研究センター病院に入った。病院には、2つの記念物が保管されている。高名な軍医でもあった森鷗外が使っていたデスクと、54年にアメリカの水爆実験で「死の灰」を浴びた漁船、第五福竜丸の模型だ。被曝した漁師たちはここで治療を受けた。

 病院のすぐそばにある財務省若松住宅横の公園は、石井さんが人体標本を埋めたと証言した場所だ。「愚行と無知の公園」とでも呼ぶべきだろうか。

 そこには子供が遊ぶ姿はない。今のところ、日本政府はこの公園の調査に無関心だ。そこから徒歩10分ほどの場所には、731部隊で最もおぞましい人物の1人である部隊長、石井四郎陸軍軍医中将の遺骨が納められた美しい寺がある。

 フランスには、「蛇は花の下に隠れる」ということわざがある。1932~45年に戸山地域で何があったのか──はっきりしているのは、私の目にはその答えが見えないということだ。

 菅直人首相は昨年12月に硫黄島を視察し、「一粒一粒の砂まで確かめる」と戦没者の遺骨収集を約束した。一方、戸山での発掘調査は厚生労働省による例外的な措置だ。国が招いたかもしれない恐ろしい真実の追求は、今も日本政府や首相ではなく、声を上げた少数のボランティアや公務員によって行われている。

 ヨーロッパでは第二次大戦の話になるとさまざまな記憶を引き出し過ぎることが問題になるが、日本は「記憶喪失」に陥る。それでも、日本人以上に真摯に過去と向き合う人たちはいない。人間同士の「義理」ということについて、日本ほど深く考える文化はほかにない。

 日本の刑法制度は自白に重きを置いていて、過ちの告白は贖罪と将来の許しにつながる。銀行の行員や工場の労働者はすべての人的ミスに対し、ヨーロッパではあり得ないほどの責任を感じる。

 私は戸山で起きたことの真実を知らないが、1つだけ確かなことがある。石井十世さんは結局、看護師の姿をした「勇敢な日本兵」だったのだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ドル156円台へ急上昇、日銀会合後に円安加速 34

ビジネス

日銀、政策金利の据え置き決定 国債買い入れも3月会

ワールド

米、ネット中立性規則が復活 平等なアクセス提供義務

ワールド

ガザ北部「飢餓が迫っている」、国連が支援物資の搬入
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 5

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 10

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 7

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story