コラム

わが兄弟由紀夫に問う「友愛」の意味

2009年10月26日(月)11時40分

今週のコラムニスト:レジス・アルノー

「Fraternity(フラタナティ)」――最近、この古めかしい言葉がわが鳩山由紀夫新首相のおかげで注目を浴びている。フラタナティ、つまり「友愛」が自身の政治哲学であると、鳩山は言う。

 政権交代を実現する直前に月刊誌Voiceに発表した寄稿文「私の政治哲学」のなかで、鳩山は「友愛」という概念がフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」からきていると説明している。フラタナティが「甘ったるい」ものではなく、むしろ戦闘心に訴える考え方だと理解している彼は、文章の冒頭で「柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念」とも書いている。

 鳩山はこの寄稿文のなかで、彼が「EU(欧州連合)の父」と讃えるクーデンホフ・カレルギーの著書『全体主義国家対人間』を翻訳・出版した祖父一郎についてもたびたび触れている。鳩山によれば、この本の中で一郎がフラタニティを「博愛」でなく「友愛」と訳したのだという。

 フラタナティは歴史ある言葉だ。もともとは、家族でなくても「兄弟」になることができるというキリスト教の概念――たとえ本当に血がつながっていなくても、「キリストの兄弟」になれる――に由来する。 1848年になって「自由」と「平等」に「博愛」が加わり、フランスでスローガンとして用いられるようになった。

■東ティモールで出会ったフラタナティ

 フラタニティは今はそれほど使われる言葉ではない。代わりに人々は「solidarity(ソリダリティ、団結)」というより味気ない言葉を好んで使う。フランスの思想家レジス・ドブレによれば、「ソリダリティとはカフェイン抜きのフラタナティ」。数カ月前に「フラタナティ・タイム(博愛の時間)」という見事なエッセーを発表したドブレは、そのなかで「フラタナティとはわれわれが選択する家族のことだ。遺伝的に受け継ぐ家族のことではない。自らの命を賭けて見知らぬ人間に差し伸べる、その手のことだ」と述べている。

 このドブレの言葉は、私にジャーナリスト人生で最も心を揺さぶられた経験を思い出させる。

 99年、キリスト教を信仰するインドネシアの小さな地域だった東ティモールが独立を果たす数週間前のこと。ある朝、私は首都ディリの教会に足を踏み入れた。そこには、インドネシア軍によって殺害、誘拐、拷問されたティモール人全員の名前が書かれた1冊のノートを必死に守ろうとするやせ細った男がいた。湿気でよれよれになり、ブルーのインクで書かれた名前はにじんでいる。薄っぺらくて今にもバラバラになりそうだが、この小さなノートはインドネシア軍によって行われた大虐殺を示す唯一の証拠だった。

「リストをもっているのは私しかいない。このノートを奪うためには、彼らは私を殺さなければならない」。彼は堂々と、そして冷ややかに言った。彼のこの行動こそフラタナ ティだった。

■クメール・ルージュの「兄弟愛」

 だがフラタナティは疑いの目で見られる概念になった。20世紀に「兄弟」という名の下での殺戮が繰り返されたからだ。まるで、フラタナティは本来とはまったく正反対の目的を達成してしまったかのようにみえる。

 史上最も残忍な独裁者に数えられるカンボジアの共産主義勢力クメール・ルージュの指導者たちは、自分たちを「ブラザー・ナンバー1」 「ブラザー・ナンバー2」と呼ばせていた。究極的にはフラタナティの 追求によって生まれる「われわれ」が、個人である「私」を消滅させる思想である共産主義は、偉大な「兄弟愛」の思想と考えられていた。

 フラタナティがこのように機能すれば、反対意見が存在することは許されなくなる。「兄弟たち」とは違う道を選択したければ、共同体から脱退しなければならない。共同体に反対意見があっては、自分の仲間が追い求める「フラタナティ」そのものを危険にさらすことになるからだ。

 こうしてフラタナティは極めて危険な思想ともなりうる。つまり、フラタナティそれ自体を目標にすることはできない。鳩山首相は、この言葉の意図するところをもっと明確に伝えるべきだ。

 日本は友愛の名において、戦争で荒廃した国々からの避難民をついに受け入れるつもりなのか。友愛の名において、オーバーステイの外国人を野蛮な環境で収容している茨城県の東日本入国管理センターを閉鎖、あるいは見直すのか。

 我が兄弟、由紀夫よ。どうか答えてください。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、チェイニー元副大統領死去に沈黙 ホワイ

ビジネス

日経平均は一時1700円安、5万円割れ 下値めどに

ワールド

米ケンタッキー州でUPS機が離陸後墜落、3人死亡・

ビジネス

利上げの条件そろいつつあるが、米経済下振れに警戒感
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 3
    「あなたが着ている制服を...」 乗客が客室乗務員に「非常識すぎる」要求...CAが取った行動が話題に
  • 4
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 5
    これをすれば「安定した子供」に育つ?...児童心理学…
  • 6
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    高市首相に注がれる冷たい視線...昔ながらのタカ派で…
  • 9
    「白人に見えない」と言われ続けた白人女性...外見と…
  • 10
    【HTV-X】7つのキーワードで知る、日本製新型宇宙ス…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 6
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 7
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 10
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story