コラム

欧米リベラル民主主義が直面する不安

2012年02月02日(木)10時51分

 今年初めに出た「フォーリン・アフェアーズ」誌を見て、ちょっと驚いた。「フォーリン・アフェアーズ」は、米国外交問題評議会が発行する国際政治経済問題に関するオピニオン誌である。

 90周年記念号ということで、特集が組まれているのだが、そのテーマがthe Clash of Ideas、つまり「思想の衝突」というものだ。ファシズムから共産主義まで、いかに欧米諸国が対立する思想に打ち勝って自由主義・民主主義を維持、確立してきたか、歴史的な論文を集めて振り返っている。なんだか20年前の冷戦終結のときに組まれたような特集だなあ、と思いつつ、読んでいて気になったのが、そのトーンがあまり楽観的ではないことだ。

 もちろん、いかにロシアやトルコなどの非欧米諸国にも自由と民主主義を広げるかという、ブレジンスキーの筆による「民主主義の旗手アメリカ」的な使命感にあふれた論考もある。しかし、その一方でジョージタウン大学のクプチャン教授の論文などは、驚くほど悲観的だ。なぜなら彼は、「グローバル化でリベラル民主主義がダメージを受けている」と考えているからだ。それよりも、中国のような閉鎖的で非民主的な国家資本主義のほうが、グローバル化された現代において優位にある、と指摘する。

 つまり、欧米が追求してきたリベラル民主主義がダメなんじゃないか、限界にきているんじゃないか、という危機感があちこちに滲み出た特集になっているのだ。これは明らかに、ヨーロッパでの経済危機、米国での「ウォール街占拠運動」など、去年以降民主主義世界が直面し始めた諸問題を反映している。我々が実現した自由と民主主義は、果たして本当に我々が理想としたものだったのだろうか? 格差が生まれるのも貧困に陥るのも自由という、市場経済に基づく民主主義は本当に人々を幸福にしたのか? そして、我々が信じてきた代議制民主主義は、本当に人々の声を反映した政治を作り上げてきたのか?

 さらに気になるのは、そうした不安が、ポピュリズムや衆愚政治などといった、過去に体験したことのある民主主義が陥りがちな罠に対して向けられているわけではない、という点だ。むしろ、「まだ見ぬ新しい思想」が出現して我々の慣れ親しんだリベラル民主主義のオルタナティブとなるのではないか、という不安が、上記のような自信のなさに繋がっているのではないか。民主主義を脅かしているのがファシズムやポピュリズムなどの「非民主主義」的な思想であれば、これまで同様、堂々とリベラル自由主義の価値を謳いあげればよい。だが、どうも「ウォール街運動」などで対抗的に出現しつつあるのは、そうした過去の敵とは異なるようだ。民主主義のなかから出現した民主主義への批判勢力に、今の民主主義国はどう対応すればいいのだろうか。

 さて、そのようななかで「ウォール街運動」の先駆け的に発生した「アラブの春」の、その後の展開をどう見ればいいだろうか。非民主的な体制に「ノー」を突きつけ、政権転覆後は「民主化」が期待されたアラブ諸国だが、選挙の結果、あちこちでイスラーム政党の勝利が目立っている。

 これを欧米の民主主義国は、「非民主主義的な敵」として有無を言わず否定するのだろうか。それとも「ウォール街運動」のように、「まだ見ぬ新しい思想、でも慣れ親しんだ民主主義と無関係なわけではない」と捉えて、なんとかうまく付き合っていこうと考えるのだろうか。

 次回は、アラブ世界でのイスラーム政党の台頭が持つ意味を考えてみたい。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

見通し実現なら経済・物価の改善に応じ利上げと日銀総

ワールド

ハリス氏が退任後初の大規模演説、「人為的な経済危機

ビジネス

日経平均は6日続伸、日銀決定会合後の円安を好感

ワールド

韓国最高裁、李在明氏の無罪判決破棄 大統領選出馬資
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 2
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    フラワームーン、みずがめ座η流星群、数々の惑星...2…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story