コラム

フォトジャーナリスト アレックス・ブラーを惜しんで

2010年07月27日(火)19時35分

 長い間このブログを更新できなかったのは、ハーバード大学での特別研究員生活の終了に向けて数多くの執筆に取り組まなければならず、博士課程の研究計画書などを仕上げたり、近く刊行予定のアレクサンドラ・ブラー(1962-2007) の本のため、1カ月インドネシアに滞在して彼女に関するエッセーを書いたりする必要があったためだ。本は彼女の母親アニー・ブラーによって出版される。

 フォトジャーナリストのアレクサンドラ・ブラーの噂は、彼女に会うずっと前から聞いていた。彼女は色々な言葉で形容された(大抵は男性からだ)。気まぐれだとか、手がかかるとか、謎めいているとか、美人だ、など。実際の彼女はこの全てに当てはまっていたが、それでもまだ序の口だった。

 私がアレックス(アレクサンドラ)に初めて会ったのは、93年の冬だった。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにあるホテル「ホリデイ・イン」の食堂で、薄暗い蛍光灯の下、共通の友人が彼女を紹介してくれた時、私は強烈な印象を受けた。

 食堂はジャーナリストたちであふれ返っていた。キャリアへの野望と使命感の間で揺れ動き、危険と隣り合わせの重圧を背負い、薄汚れた灰色や茶、黒といった服の色に肌の色まで似てきた連中だ。そんななか、アレックスは私たちとは違うオーラを放っていた。彼女は確かにそこにいたが、まるで重圧は感じていないようだった。自分に浴びせられる視線や噂になど、全く興味がなさそうだった。不安と絶望以外は何も存在しない----そんな世界に生きているように見えた。

 フォトジャーナリストがいるべき場所は表舞台ではなく、カメラの後ろであり、記事の裏側であると、アレックスは考えていた。彼女の仕事を正しく理解するためには、彼女のこの控えめな性格を理解することが重要だ。それを無関心と取り違えてはいけない。

 アレックスはそんなにオープンではない。慎重でプライベートを重んじる性格で、15年の友人付き合いを続けた後でも、彼女については理解している部分よりそうでない部分の方が多かったように思う。情報過多の今の世の中では、それも少しホッとする話だが。

■「私の仕事は娼婦と同じ」

 アレックスが手がけた仕事はどれも、彼女の性格と同じく風変わりで逆説的だった。彼女の作品には、教養があって好奇心旺盛な彼女の性質がよく反映されている。写真に囚われるのではなく写真によって解放されるべきだという彼女の信念も、見事に映し出されているのだ。

 彼女はいつも、ジャーナリズムの世界での束縛から自由になろうと努めていた。その一方で、心を奪われた話題については、それを伝えることに全力を傾けた。彼女はみんなが共感している意見に感動することを拒み、積み重なる自らの功績に押しつぶされないよう、苦心していた。

 05年に、彼女は私にこんなメールを送ってきたことがある。


 長い間私が愛し続け、仕事をもらって働いてきたメディアというものに、行き詰まりを感じている。ひらめきも生まれず、不信感すら覚えてしまう。今私が働いている雑誌では、自分を表現することすら許されない。彼らが何を求めるかを私が知っているという理由だけで、彼らは私を使っている。

 ここでの私はまるで娼婦のよう。こんな立場には耐えられない。いいわ、お金のためならやりましょう。でも私の魂を満たす行為とは程遠い。

 例えば、私が壁にぶち当たっている「ヨーロッパのムスリムたち」という仕事。これは、テーマからして完全に間違っている。このプロジェクトは、あるコミュニティーに属する人々に、彼らの人種や宗教によって烙印を押そうとしている。メディアがムスリムという主題に興味を示すのは、単純にアルカイダの存在があるから。一般のムスリムや、少なくとも私が撮影するムスリムたちは、アルカイダとは全く関係がないのに。こんな仕事は、すべて間違いだ。

 私は今にもこの仕事を投げ出してしまいそうだが、そうはしないだろう。お金が必要だからだ。だが、それも間違っている。私は、自分が嫌悪するこのシステムから脱け出せずにいる。何が起こっているのかわからないうちに、私はこのシステムに飲み込まれてしまった。

 来週はイタリアのトスカーナ州で、「フォトジャーナリズム」について教えることになっている。自分のやり方に信念も持てず、目的も間違っているこの私が、だ。もっと自分を表現できる仕事ができるようになるまでは、こんな講義はやめておくべきだろう。

 誰かの話を他の誰かに伝え、人々の間の意思疎通を実現することが、今でも私の目標だ。だが、メディアが私に望んでいるやり方ではやりたくない。それ以外の方法で達成したいと強く願っている。

 これからは、自分を表現することに全力を注ぐか、でなければいっそ郵便局ででも働くべきだろう。文章や絵を書いたり、写真を撮ったりする時には、必ず自分自身の言葉を添えるようにしよう。

 あなたが元気でいることを祈っています。たくさんの愛を込めて。アレックス


 アレックスの作品の多くは、戦争や貧困、社会の激変にまつわるものだった。同時代のフォトジャーナリストたちと比べて際立っていたのは、彼女の問題のとらえ方や視点、対象への入念なアプローチなどだった。

 写真を撮る時、彼女は特定の人々にこう受け取ってほしいと考えるのでなく、自分がとらえた世界をそのまま撮影していた。

 彼女には、尊敬に値する信念があった。普通の人々の平凡な日常を写した写真にも、世界中の多くが日々直面している苦痛や苦悩、恐怖が映し出されているはずだ、というものだ。彼女は、目を引くセンセーショナルな出来事だけでなく、日常生活から素晴らしいテーマを見つけることで、私たちと特定の事件とを結び付けようとしていた。

 タイム誌への寄稿で、彼女はこう記している。


 ......私でさえも、時にはパレスチナの現状を見るのに疲れ果ててしまう。だからこそ、パレスチナの詳細がいちいち気になるのかもしれない。

 紛争や苦痛があまりに日常化してしまっているので、パレスチナ人を見る時、私は彼ら自身と同じくらい彼らの日常生活に目を向けてしまう。電気のない生活、空っぽの冷蔵庫、映らないテレビ、いつまでも完成しない家の中の一室、唯一の幸せを映し出しているかのような子供たちの鮮やかな色のTシャツ、2つのティーカップの間に置かれた床の上のカラシニコフ銃、病棟の一室に供えられたプラスチックカップ入りの1輪のバラ----。


■絶望と希望の道のり半ばで

 アレックスが残した功績は、仕事に対する繊細で真っ直ぐな姿勢だった。彼女の作品集には、複雑で洗練された心がよく表れている。それは、彼女のクリエイターとしての繊細さや子供のような好奇心、不平等や不正を暴こうとする彼女の姿勢によく合っていた。

 アレックスは、イヴ・サンローランの最後のコレクションやパリのルーブル美術館を撮ることと、ボスニアや中東で仕事をすることにちっとも矛盾を感じていなかった。彼女は、自分の幅広い知的・文化的関心を写真に反映することを恐れなかった。

 アレックスは、イヴ・サンローランのキャリアの幕引きを記録することで、62年(アレックスが生まれた年だ)にサンローランの初のコレクションを撮影した父ピエール・ブラーの仕事を結実させた。幸運な偶然で2人の仕事が同じ流れに行き着いたことに、彼女は大きな喜びを感じていた。

 アレックスは、近年ジャーナリズムの世界にはびこっている独断的考えやうぬぼれとは無縁のままこの世を去った。彼女は、長くつらい道のりの半ばで亡くなった。その道のりでも、希望や明るい展望を恐れず追い求め続けていた。彼女の写真には、絶望だけでなく楽観的な世界が広がっていて、私の描く彼女のイメージとぴったり一致する。

 アレックスと15年の友情を育んだ今、私はこう言うことができる。彼女は確かに、気まぐれで手がかかり、謎めいていて美人だった。だが、私たちの友情や彼女の功績をゆっくりと振り返ってみた時、脳裏に浮かぶのは、勇気にあふれ、真っ直ぐで愉快で、どこまでも好奇心旺盛な女性だ。

 たゆみなく複雑な彼女の魂は、最後まで簡素で明瞭な仕事を追及し続けた。私たちは皆、彼女の死をひどく惜しんでいる。

----ルアンプラバン(ラオス)にて

アレクサンドラ・ブラーの作品(VII Photo Agency):
http://www.viiphoto.com/feature.html
左脇の「Estate of Alexandra Boulat」から

プロフィール

ゲイリー・ナイト

1964年、イギリス生まれ。Newsweek誌契約フォトグラファー。写真エージェンシー「セブン(VII)」の共同創設者。季刊誌「ディスパッチズ(Dispatches)」のエディター兼アートディレクターでもある。カンボジアの「アンコール写真祭」を創設したり、08年には世界報道写真コンテストの審査員長を務めたりするなど、報道写真界で最も影響力のある1人。

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