コラム

信念の写真家キャパの「置き土産」

2010年12月07日(火)14時25分

 ニューヨークの国際写真センター(ICP)で、「メキシコの旅行カバン」という写真展を見た(来年1月9日まで開催)。

 ぼんやりした照明の中、赤茶色の壁に張り出されたコンタクトシート(1本のフィルムに撮影されている全写真の一覧)を101枚も見るのはひどく疲れる。だが、「伝説の写真家ロバート・キャパの幻のネガ」といった前宣伝を聞くと、どうしても見に行かなければという気持ちになる。実際、行ってみる価値はあった。ただし予想とは違う意味でだが。

 第2次大戦中、ナチス占領下のフランスでメキシコ大使館付きの武官に小さな旅行カバンが預けられた。カバンには3つの箱が入っていて、スペイン内戦を撮影した写真のネガが収められていた。撮影したのはキャパとゲルダ・タロ(キャパの恋人)とデービッド・シーモア。フレッド・スタインがパリで撮影したフィルムも入っていた。戦後、武官がメキシコに持ち帰ったこの旅行カバンは、長い歳月を経てキャパの弟コーネルが創設したICPに届けられた。

 かねてからキャパの作品には、別のカメラマンが撮影したものではないかとか、いわゆる「やらせ」があったのではないかという指摘があった。メキシコの旅行カバンは、こうした謎に何らかの答えを出してくれるのではないかと、大いに期待が集まっていた。誰も知らない傑作が見つかるのではないか、あるいは世界最高の戦場カメラマンの新たな一面が明らかになるのではないか、と。

 正直言って写真展の内容は、キャパの研究者や熱狂的なファン以外にとっては大したものではなかった。既に発表されているスペイン共和国軍第5師団の写真を除けば、キャパが撮影したスペイン内戦やノルマンディー上陸作戦の有名な写真に見られる優美さや力強さはなかった。未発表の傑作もなかった。そこにあったのは、技術的に未熟な駆け出しの若いカメラマンたちの写真だった。

 だからICPは、各ショットがほとんど見えないくらい小さなコンタクトシートを展示したのかもしれない。来場者には拡大鏡が配られたが、そんな形をとる必要はなかったはずだ。展示されたコンタクトシートは歴史的価値のある古美術品ではないし、当時のサイズを再現したわけでもなかった。

 展覧会を見終わる頃にはぐったり疲れ、キャパと彼の輝かしい友人についても新しい発見はほとんどなかった。展示方法にも問題はあったが、そもそも作品にパワーがなかった。既に知られているキャパの写真が一緒に展示されていれば、キャパの全作品の中での位置づけを確認することもできただろう。

 しかしそれでも、「メキシコの旅行カバン」は見に行く価値がある。

 なぜか。この写真展が、戦争写真というジャンルが恐ろしい政治的抑圧の時代に生まれたこと、当時の「元祖」戦場カメラマンたちは全体主義とファシズムを倒すことを最大の目標としていたことを思い出させてくれたからだ。それは写真という手法を使った、力強い信念の主張だった。なかには被写体に対する共感が現れている写真もあったが、全体としては断固たる怒りに満ちていた。もし写真という手法がなかったら、キャパとタロとシーモアは武器を取って、全体主義を攻撃したに違いない。

 私はというと、毎日これといった主張もない「ポストモダン」の写真を見せつけられている。カメラマンたちは自分の意見を持つことを極力避けているかのように、不正による苦しみを客観的に撮影し、ありふれたもののように提示する。

「メキシコの旅行カバン」には、驚きも傑作もない。だが、キャパの明確な姿勢を思い出せてくれた点では大満足だ。たとえそのために拡大鏡が必要だったとしても。

プロフィール

ゲイリー・ナイト

1964年、イギリス生まれ。Newsweek誌契約フォトグラファー。写真エージェンシー「セブン(VII)」の共同創設者。季刊誌「ディスパッチズ(Dispatches)」のエディター兼アートディレクターでもある。カンボジアの「アンコール写真祭」を創設したり、08年には世界報道写真コンテストの審査員長を務めたりするなど、報道写真界で最も影響力のある1人。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

情報BOX:パウエル米FRB議長の会見要旨

ビジネス

FRB、利下げ再開 雇用弱含みで年内の追加緩和示唆

ビジネス

FRB独立性侵害なら「深刻な影響」、独連銀総裁が警

ワールド

核問題巡り平行線、イランと欧州3カ国が外相協議
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 3
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 8
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 9
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 10
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story