コラム

ピケティを読まないで「格差社会」を指弾する日本人

2015年02月05日(木)18時12分

 全世界で150万部売れたベストセラー『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティ氏(パリ経済学院教授)が先週、来日した。日本でも13万部も売れ、私の『日本人のためのピケティ入門』も9万部売れた。日本語訳は、728ページで5940円。内容も決して読みやすいとはいえない本が、こんなに売れたのはなぜだろうか。

 一つの原因は「格差が広がった」という不安だろう。これに便乗して「資本主義が格差を拡大する」という人々は、彼の本を読んだのだろうか。『21世紀の資本』には日本のことがほとんど書かれていないが、数少ないデータで見ても、次の図1(彼の本の図9-3)のように日本の所得格差はそれほど拡大していない。

(図1) アングロ・サクソン諸国と比較すると、1970 年代以降、大陸ヨーロッパと日本ではトップ百分位のシェアがほとんど増加していない。出所と時系列データ:http://piketty.pse.ens.fr/capital21c を参照。

(図1) アングロ・サクソン諸国と比較すると、1970 年代以降、大陸
ヨーロッパと日本ではトップ百分位のシェアがほとんど増加していない。
出所と時系列データ:http://piketty.pse.ens.fr/capital21c を参照。

 格差の原因として、ピケティは「資本収益率rが成長率gより大きい」という不等式を示しているが、日本の資本収益率は大きく低下し、長期金利は0.2%を割った。成長率も低いが、r>gで不平等がどんどん拡大する状況にはない。彼は資本/所得比率βが上がると格差が拡大するというが、これも1980年代の7倍から現在は6倍に下がり、資本分配率αも下がった。

 所得の極端な不平等化は主としてアメリカの現象であり、日本には当てはまらない。日本の格差の最大の原因は資本収益率でも資本畜積でもなく、以前の当コラムでも指摘したように、グローバル化である。

 ピケティもグローバル化が不平等化の原因になることは認めたが、まだその影響は大きくないという。確かにヨーロッパは域内で経済統合が進んでいるが、賃金格差がそれほど大きくないので、グローバル化の影響が賃金に出ない。これに対して日本は、隣に中国という巨大な低賃金国があるので、単純労働の賃金は中国に引っ張られて下がる。

 日本で行なわれた彼を中心とするシンポジウムでは、こういう中身についての質問はほとんど出ず、格差に関心が集中した。ピケティは「若い世代の低所得者の税率を下げ、トップの所得の税率を上げるべきだ」と提言したが、日本の上位所得者の不平等は上の図のように大きくない。

 格差を問うなら、日本の最大の問題は世代間格差である。ピケティは「世代間格差より階層間格差のほうが大きい」というが、これは今までの話である。日本のように公的年金などの社会保険の受給額と保険料の差が大きいと、今後の世代間格差は拡大する。

(図2)

(図2)

 上の図2(出所は産業構造審議会)のように、現在世代に対する将来世代の生涯負担を比べると、他の国に比べて日本が突出して大きく、超過負担が169%にも達する。将来世代の負担は、今の高齢者に比べて1億円近く多い。この原因はピケティのいう資本主義の矛盾ではなく、社会保障のゆがみを是正しない政治の貧困である。

 日本経済の最大の問題は格差ではなく、みんな平等に貧しくなることだ。2014年の実質成長率はほぼゼロで、実質賃金は2.5%下がった。野党は「格差が拡大するから派遣労働を規制しろ」というが、規制を強化すると雇用が減るだけだ。安倍政権の「賃上げ要請」も、春闘に参加する大手企業の正社員の賃金だけを上げて非正社員との格差を拡大する。

 ピケティの主張とは逆に、日本には資本主義が足りないのだ。日本の株主資本利益率は上場企業の平均でも5%程度で、アメリカの1/3、ヨーロッパに比べても半分である。最近で格差が縮小したのは、小泉政権で成長率が上がった2000年代なかばだった。成長がすべてを解決するわけではないが、成長しないで格差を解決することはできないのだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米GDP、第1四半期は+1.6%に鈍化 2年ぶり低

ビジネス

ロイターネクスト:為替介入はまれな状況でのみ容認=

ビジネス

ECB、適時かつ小幅な利下げ必要=イタリア中銀総裁

ビジネス

トヨタ、米インディアナ工場に14億ドル投資 EV生
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 3

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP非アイドル系の来日公演

  • 4

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 5

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 6

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 7

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    やっと本気を出した米英から追加支援でウクライナに…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 7

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story