コラム

二人の元首相が錯覚した原発の「サンクコスト」

2014年02月12日(水)16時47分

 東京都知事選挙は、予想通り舛添要一氏の圧勝に終わったが、最近まれに見るバカバカしい選挙だった。その最大の原因は、当初は有力候補とみられた細川元首相が「原発即ゼロ」という都知事の権限とは無関係のスローガンを掲げ、小泉元首相もそれを応援したからだ。

 彼らの論点は二つあった。一つは「原発は無限に危険だから、ただちにゼロにすべきだ」というという話だが、福島第一原発事故の放射能で健康被害は出ていない。史上最悪のチェルノブイリ事故でも、確認された死者は約60人。交通事故の5日分だ。細川氏の「もう一度、事故が起こると日本が滅びる」というのは妄想である。

 もう一つは「原発のコストは高い」という話だ。小泉氏の街頭演説は、こんな調子である。


 原発の電力会社、国民の多額の税金の投入なしで採算があわない。建設にもコストがかかる。核のゴミにも莫大なコストがかかる。事故が起こった場合の賠償は、どれほどかかるかわからない。原発は安全でもないし、コストが安いどころか一番金食い虫だ。

 まず「多額の税金の投入なしで採算があわない」というのは嘘である。電源三法交付金は電力会社が負担しており、それを経費に含めても収益が上がっている。「コストが安いどころか一番金食い虫だ」というのも間違いだ。たしかに建設には大きなコストがかかるが、それはサンクコスト(埋没費用)なので、原発を止めても回収できない。

 原発を再稼動するかどうかを決めるとき考えるべきなのは、発電量に応じてかかる変動費だけだ。このうち燃料費は1~2円/kWhで、火力よりはるかに安い。それ以外の維持費は、止めたままでもかかる。設備投資などの固定費は、新たに建設しないかぎりかからない(それを入れても石炭火力と同じぐらい)。

 考えるべきなのは過去のサンクコストではなく、将来のキャッシュフロー(現金)である。問題は固定費が大きいことではなく、それが回収できないことなのだ。原発を運転しないと電気料金が入らないので、この機会費用(得べかりし利益)はどんどん大きくなる。それは最終的には、利用者に転嫁される。

 事故の賠償費用も、サンクコストである。福島では巨額のコストがかかっているが、今後のリスクはそれを確率で割り引いて計算するのだ。かりに福島とまったく同じ事故が100年に1度起こるとしても、賠償費用は0.4円/kWhで、それを加えても原発は安い。過去の事故より大事なのは、いま14万人以上いる被災者が家に帰れないコストである。

「核のゴミ」もサンクコストだ。小泉氏は「最終処分場が決まらないから原発ゼロにしろ」というが、ゼロにしても1万7000トンある使用ずみ核燃料はなくならない。問題は、これからその処理にかかるコストである。その処理には、今後も多くの投資が必要だ。

 ところが経済産業省も、サンクコストの錯覚に陥っている。使用ずみ核燃料を直接処分すると1円/kWh、再処理すると2円ぐらいだ。再処理するとプルトニウムを高速増殖炉で再利用できることになっているが、高速増殖炉の実用化はいつになるかわからない。非在来型ウランの埋蔵量は300~700年分あり、海水ウランは無尽蔵で再処理より経済的だ。

 経産省が「せっかく六ヶ所村に再処理工場をつくったのだから動かさないともったいない」というのも、サンクコストの錯覚である。再処理をやめると使用ずみ核燃料が「資産」ではなく「費用」になるというのは帳簿上の問題で、キャッシュフローとは無関係だ。運転しても赤字になる工場は、捨てたほうがいい。

 こういう錯覚は、普通の会社でもよくある。最新鋭の液晶工場を建てた途端にテレビの売れ行きが落ちて赤字操業になった、というような場合も「もったいない」とか「ここまでできたのだから」と思いがちだが、サンクコストは無視して早く売れるうちに売却すべきだ。帳簿上で特別損失が出ても、キャッシュフローを見るのだ。

 逆に、すでに投じた固定費は、設備を稼働してなるべく早く回収する必要がある。ここで重要なのは、サンクコストではなくキャッシュフローの大きさである。原発を止めたおかげで、電力会社は毎年2兆円以上のLNG(液化天然ガス)を余分に輸入している。これはサンクコストではなく、安倍首相の決断でゼロにできるのだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏「ウクライナはモスクワ攻撃すべきでない」

ワールド

米、インドネシアに19%関税 米国製品は無関税=ト

ビジネス

米6月CPI、前年比+2.7%に加速 FRBは9月

ビジネス

アップル、レアアース磁石購入でMPマテリアルズと契
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パスタの食べ方」に批判殺到、SNSで動画が大炎上
  • 2
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機…
  • 5
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 6
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中…
  • 7
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 8
    「オーバーツーリズムは存在しない」──星野リゾート…
  • 9
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 10
    歴史的転換?ドイツはもうイスラエルのジェノサイド…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story