コラム

過剰セキュリティの「マイナンバー」で電子政府は無用の長物になる

2012年04月20日(金)15時02分

 消費税法案は国会で紛糾しているが、それと一体で決まった「マイナンバー」(国民共通番号)法案は、すんなり閣議決定された。消費税が難航しているので今国会で成立するかどうかは不透明だが、かつて住基ネット(住民基本台帳法ネットワークシステム)が「国民背番号」として批判されたのとは大違いだ。これで「電子政府」は実現するのだろうか?

 マイナンバーという一般的な名前になっているが、この制度の最大の目的は納税者番号である。主要国で納税者番号のない国は日本ぐらいしかなく、「クロヨン」などと呼ばれるように所得の捕捉率が低く、不公平の原因になっている。特に消費税の逆進性を緩和するために所得税の還付などを行なう場合、所得が正確に把握できないと事務が膨大になるため、共通番号は不可欠である。

 それはいいのだが、今回の制度はこれを超えて政府のすべての手続きにマイナンバーを使わせ、しかもICカードによる本人確認を義務づける。このように厳格な本人確認をあらゆる手続きに求めると何が起こるかは、一足先に始まったe-Tax(電子申告・納税システム)がよく示している。

 e-Taxは導入から8年たっても利用率が半分に満たず、特に個人納税者の利用率は15%程度だ。その最大の原因は、本人確認のために住基カードを義務づけていることだ。このためカードリーダーを買って複雑なソフトウェアをインストールしないと申告できない。電子商取引で送金する場合でもICカードなど必要ないのに、なぜ単なる納税申告にそんな厳格な認証が必要なのだろうか。

 海外では、コンピュータから納税者番号とパスワードを入れて申告するのが普通である。日本でも紙で納税するときは三文判でいいのに、電子納税だけこのように厳格な手続きが決まったのは、かつて住基ネット騒動で「個人情報が漏洩する」などと騒ぐ人々がいたためだ。そのとき反対運動でつるし上げられたことが官僚のトラウマ(心的外傷)になり、個人情報に過剰セキュリティを求めたのだ。

 おかげで、すべての行政手続きに住基カードが求められ、これが障害になって行政の電子化が進まない。たとえば外務省のパスポート電子申請システムは、利用者がほとんどいないために廃止された。この他にも政府関係の電子手続きは異常に複雑で、利用者が少ないため、結果的には紙と電子の両方の事務が必要で、行政の合理化につながらない。

 解決策は簡単である。住基カードをやめればいいのだ。私になりすまして納税申告する人などいないのだから、インターネットで名前とパスワードを入力するだけで十分だ。パスポートは取りに行くとき本人確認するのだから、申請のとき本人確認する必要はない。このように本人確認は用途に応じてさまざまなレベルがあり、一律にICカードを義務づけると、e-Taxのように失敗することは確実だ。

 今回の共通番号システムは、行政手続きを簡素化しないで各省庁のバラバラのシステムを丸ごと電子化するため、恐ろしく複雑な史上最大の情報システムになる。これを受注するのは、各省庁に出入りするITゼネコンと呼ばれる大手ベンダーだ。彼らは既存のシステムに独自に建て増しするので、海外や民間のシステムとも互換性のない「ガラパゴス」型だ。今のままでは電子政府には数兆円の税金が浪費され、いつ完成するのかもわからない「バベルの塔」になるだろう。

 ICカードのような厳格な認証が必要なケースは、銀行の口座開設など、ごく一部に限られる。これはパスポートや保険証でやるよりICカードのほうがいいが、それ以外はEメールのアドレスで十分だ。統一するには、OpenIDなど民間のシステムもある。納税者番号は、インターネットで入力すればいい。用途別に、いろいろなレベルのセキュリティがあっていいのだ。

 電子政府は便利で簡素なものにしないと利用されず、紙の行政事務をなくすことができない。重要なことは、役所の都合で過剰セキュリティを求めるのではなく、利用者の目から見て最小限どういう手続きが必要か見直すことだ。そうしないと電子政府は、膨大な税金を浪費して行政事務を紙と電子で二重にやる無用の長物になるだろう。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story