コラム

トヨタ社長の涙が暗示する日本経済の暗い未来

2010年02月26日(金)08時31分

 トヨタ自動車の豊田章男社長が出席した米下院の公聴会は、いささか趣味の悪い見せ物だった。議員たちは具体的な材料もなしに、攻撃的な言葉によって選挙区にアピールしようとしているように見えた。世論調査では「豊田社長は誠実に説明した」という感想が過半数を占め、トヨタは最大の危機を乗り切ったようだ。

 印象的だったのは、公聴会のあと、ディーラーや従業員との会合で豊田社長が「公聴会で私は1人ではなかった。あなた方と一緒だった」とあいさつし、声を詰まらせたことだ。これに1997年に山一証券が廃業したとき、当時の野沢正平社長が「社員は悪くないんです。私らが悪いんです」と号泣した場面を重ね合わせたのは、私だけだろうか。

 もちろんトヨタは山一とは違う。実態は破綻していた山一とは違って、トヨタは世界一の自動車メーカーである。最近は北米市場の不調で売り上げが大幅に減少したが、ライバルのGM(ゼネラル・モーターズ)に比べると圧倒的な競争優位を維持している。しかし「従業員と一緒だ」と涙ぐむ社長は、よくも悪くもアメリカにはいない。「創業者の孫」というイメージとは違って、豊田家の持株は2%にすぎない。平社員で入社した豊田社長は、株主ではなく労働者の代表なのである。

 CEO(最高経営責任者)の報酬が平社員の200倍を超えるアメリカとは違い、日本のそれは10倍にも満たない。資本家と労働者の階級闘争がなく、労働者から昇進したサラリーマン社長が経営する日本企業は、労働者管理企業だといってもよい。それは会社が成長を続けるときは市場の変化に配置転換などで柔軟に対応でき、欧米型の労使紛争が少ないため、高い効率を発揮した。

 しかし労働者管理企業は、今回のようなマイナスのショックに弱い。「みんなが一緒だ」ということがモチベーションの源泉なので、仲間の一部を切ることができないのだ。みんなで意思決定をすると、解雇や事業売却などの後ろ向きの決定はコンセンサスを得られないため、ぎりぎりまで先送りされ、それはしばしば――山一のように――企業そのものを崩壊させてしまう。

 今回のリコール騒動は、トヨタの絶対的な強みだった品質に疑問を投げかけた。トヨタは今でも強いが、かつてのような急成長を続けることは期待できない。新興国では、トヨタはナンバーワンではない。日本の労働者管理企業の最後のヒーローだったトヨタの成長にかげりが見えたことは、日本経済にも暗い影を落とす。すでに情報産業では日本企業は壊滅状態であり、金融も世界市場では問題にならない。トヨタが挫折すると、世界で競争できる企業は日本にはほとんど残っていないのだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

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