コラム

ベテラン特派員が綴る中東を混迷に陥れたアメリカの罪

2016年03月14日(月)16時00分

 現在の私たちが忘れていることだが、イスラム教は、かつて富もパワーも世界の最高峰にあった。しかし、没落してきたオスマン帝国で、20世紀初頭に「青年トルコ」が革命を起こして政権を握り、ドイツと組んで第一次世界大戦に参戦したことで運命が大きく変わった。700万人を戦争で失ったあげくオスマン帝国は敗戦し、戦勝したイギリスとフランスが領土の大半を分割することになった。しかし、これは戦勝国の都合で切り分けたものであり、敵対するスンニ派アラブ人、シーア派アラブ人、クルド人などの多様な民族が混じり合っている。モザイクのような国々を統率するのはただでさえ困難だったのだが、じきに第2次世界大戦に参入したイギリスとフランスにはその金もエネルギーもなく、アメリカがゴッドファーザーとして面倒をみる羽目になったのだ。

 戦後のアメリカにとって、中東はソ連と共産主義に対する前線であり、冷戦下の中東政策は、イスラエル擁護と石油の供給確保だった。中東諸国ではアラブとイスラム教徒の統一を声高に叫ぶ指導者たちが何人も現れたが、イスラエルに対する複数の戦争の結果、エンゲルが「Strong Men(強い男たち)」と呼ぶ独裁者たちが中東の国々を統率するようになった。シリアのアサド家、エジプトのナセル、サダト、ムバラク、チュニジアのベンアリ、リビアのカダフィ、イラクのフセインなどがそうだ。

【参考記事】シリア和平は次の紛争の始まりに過ぎない

 エンゲルは、これらのリーダーの多くに直接会っている。民族や宗派の違いによる血なまぐさい争いを抑えこむためなら遠慮なく残酷な手段を取る彼らが尊敬できる人格者でないことは、エンゲルもアメリカのリーダーたちも百も承知だった。

 しかし、これらの強いリーダーがいたからこそ、国が機能していたのも事実だった。エンゲルは、これらの中東の国々を、「外見は華麗で印象的だが、内部はシロアリに喰われ、カビだらけで、腐りかけている豪邸」とたとえ、強そうに見えたがひと押しすれば倒れる状態だったと言う。腐っていることがわかっていても、家を倒してしまったら、国民は住む場所がなくなって混乱してしまう。だから、生かさず殺さずにいるのが、それまでのアメリカの方針だったのだ。

 ところが、ジョージ・W・ブッシュ大統領がそれを変えた。

 ブッシュ政権は、「(2001年9月11日の同時テロの首謀者である)オサマ・ビンラディンが同盟関係にある」とアメリカ国民にイラク侵略の大義を説明した。だが、エンゲルはそれを「ばかげている」と非難する。中東に居を構えていたエンゲルにとって、ビンラディンとフセインが敵対関係にあるのは周知の事実だったからだ。

 それでもブッシュがイラク戦争を始めた理由をエンゲルは2つあげている。ひとつは、「ブッシュ政権は最初からイラクに執着していた。イラクからの亡命者のグループとネオコン(新保守主義)は、サダム・フセインを打倒するのは簡単だと説得し、ブッシュはナイーブにもフセイン政府を民主主義に取って代えられると信じこみ、それがすべての政治的な悪への解毒剤だと考えたのだ」であり、もう一つは、「アメリカは(同時テロへの)復讐に飢えており、軍隊は戦争準備万端だった」という当時のアメリカの雰囲気だ。

 そして、イラク戦争が始まり、「侵略、占領、その後の管理の不手際、というイラクでの6年間の軍事活動を通して、ブッシュ政権は、1967年からアメリカが続けてきた「現状維持」の対策を破壊させた」とエンゲルは言う。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ政権、「聖域都市」条例巡りボストン市を提訴

ワールド

フィリピンCPI、8月は前年比+1.5%に加速 予

ワールド

韓日米、15日から年次合同演習実施 北朝鮮の脅威に

ビジネス

日立、米国で送配電機器の製造能力強化 10憶ドル超
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害」でも健康長寿な「100歳超えの人々」の秘密
  • 4
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 5
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 6
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 7
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 8
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 9
    SNSで拡散されたトランプ死亡説、本人は完全否定する…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 9
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を呼びかけ ライオンのエサに
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story