最新記事

新興国

猛暑と火災があぶり出したロシアの奇怪

災害マップもネット上のコミュニティもなく、どこで何が起きているのか政府さえ把握していない恐怖

2010年9月15日(水)15時34分
マーシャ・ガッセン(ジャーナリスト)

 このところ、モスクワ市民の口数が減っている。なぜか。1つには、みんな考えていることは同じ(「この暑さはいつまで続くのか」)だけれど、その話は口にしたくないから。どうしても話さなければならないときは、「天気の話で恐縮ですが......」と前置きするのがマナーになっている。

 第2の理由は、猛暑の話はもううんざりだから。新聞やラジオも、今は最高気温の記録更新を伝えない。30度を超える日さえ珍しかったモスクワで、今は40度近い気温が当たり前になっている。

 第3は、そもそもしゃべるのがつらいから。森林火災と泥炭火災の多発で、市の上空はスモッグに閉ざされ、誰もが喉を痛めている。

 当面、状況が改善される見込みはない。大半のモスクワのアパートにはエアコンがない。7月半ばで扇風機も売り切れ、店頭から姿を消した。煙の微粒子はマスクもエアコンのフィルターも通過するそうだが、たとえ気休めでもマスクは手放せない。

 天気予報はここ数週間、猛暑は10日ほどで和らぐと言い続けてきた。だが、待てど暮らせど気圧配置は変わらない。日によって何分間か激しい雨が降るが、からからに乾いた地面を湿らすには足りない。スモッグに加え、もうもうと上がる砂ぼこりが視界を閉ざす。

 8月に入ったある日、強風でスモッグが吹き飛ばされ、モスクワの空に何日かぶりで太陽が顔を出した。でも煙が「突然消えたので、かえって怖かった」と、私の同僚は言った。「ヒッチコックの『鳥』と同じ。あの真っ黒い恐怖は必ず、不意を突いて戻ってくる」

 そういう恐怖は肌で感じられる。この世の終わりが来たと、人々は陰気な冗談を飛ばす。ロシア西部の至る所で森林火災が起き、多くの死者が出ている。

核施設にも迫る火の手

 8月初めには、核施設が集中するサロフ近郊で火災が発生。中央政府は、原子炉が炎上する恐れはなく、爆発する可能性がある物質はすべて移送したと発表した。だが、誰が安心するだろう。核物質を運び出した? どこに? 誰も答えられない。そうしたなか、原子力相がサロフに飛んだ。

 政治的なパフォーマンスではない。原子力相はサロフで記者会見も開かず、消火活動の先頭に立ったりもしなかった。恐らく現地の状況を把握するために行かざるを得なかったのだろう。すさまじい熱波は、ロシア社会の異常さをあぶり出した。この国では情報の流れが断ち切られているのだ。

 ロシア全土に取材網を広げている新聞は1紙もない。テレビは中央政府による中央政府のための報道機関と化し、信頼性の高い情報の収集と伝達という役目を果たせなくなっている。

 インターネット上の草の根メディアも育っていない。専門家によると、ネット上には小さなコミュニティーがいくつかできているが、いずれも閉鎖的で、コミュニティー同士のつながりがないという。ロシアのブロガーは、職業や地域の違いを超えて、ブロガー仲間と情報や意見を交換しようとは思わないらしい。

 政治制度についても同じことが言える。政府が直接選挙を形骸化させ、代議制民主主義を骨抜きにしたため、政治家は広大な国で何が起きているかを知る必要もないし、知る手だてもない。州知事も、住民に選ばれるのではなく政府に任命されて決まるから、管轄地域の人々の暮らしや災害に心を煩わそうとしない。

 そのため、自分の身近に炎が迫るまで、火災がどこで起きているかまったく分からない。災害マップは作成されておらず、家族が無事か、旅行をしても安全か確認するすべもない。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

アングル:「豪華装備」競う中国EVメーカー、西側と

ビジネス

NY外為市場=ドルが158円台乗せ、日銀の現状維持

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型グロース株高い

ビジネス

米PCE価格指数、インフレ率の緩やかな上昇示す 個
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 4

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 5

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 6

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 7

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 8

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 9

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 10

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中