近しい人を見送るとき...母の最期に立ち会えなかった作家が「最期に立ち会えなくても大丈夫」と思えた理由
正直、あまり驚かなかった。これまで母には、本当に様々なことで度肝を抜かれてきたから、おお、今度はそう来たか! というような気分だった。
怪しい医療の沼にハマる母...
母の病状は、見つかった時にはもう手の施しようがないほどで、それでも効果的な治療法を主治医に提案してもらっていたが、当人は積極的に受けようとはしないでいた。寿命を真摯に受け止めていたのではない。根拠なく現代医療にたいして不信感を持っており、高額なサプリメントなどを買って自分なりに治そうとしていたのだ。
医師である次女の話などもまともに聞こうとせず、〝ものすごい乳酸菌〟だとか〝どんな病気も治すヨード系の液体〟などを、せっせと飲んでいる母を見ながら、違う違う、そうじゃ、そうじゃない! というツッコミを飲み込んで、とにかくこの人の好きにさせてやろうと見守ることにした。変わり者の母に何を言っても無駄だと、これまでの人生で、嫌というほど理解している。
終末期医療に従事しており、日々看取りの現場に立ち会っている姉の見立てでは、母の病状は驚くほど早く進行しそうで、想像しているよりもずっと残された時間は短いだろうということだった。
自分の病識を理解しているとは思えないほど陽気な母に、願わくば最期まで明るいままでいてほしかったという気持ちもあった。乳酸菌やヨード系の液体がいかにすごいかと嬉々として語る母に、へえ、すごいね、そんなものがあるんやね、と相槌を打っていると、そのサプリメントの信ぴょう性などどうでもよくなって、心が凪いでいく感じがした。
こうして母娘で向かい合っている今を、この後の人生で何度も思い出すかもしれない。だから、脳裏に焼き付けておこう。そんなふうに思った。
「わたし、死なないから」
実際、母は最期まで、本当に陽気で前向きだった。次女いわく「病的なまでに明るい」とはよく言ったもので、これまで常軌を逸した楽天家ゆえに問題を引き起こしてきたところがあったが、その陽気さが最期まで保たれたことは、残された家族にとって幸せなことだったと感謝している。