余命を知ったときに残るものとは...美学者は世界をどう切り取り、愛したか?
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早起きして病院に行く準備をする。必要な書類を鞄に詰めて、無意識に手につかんだ本を一冊入れる。シューベルトの伝記、それからミュラーの詩集「冬の旅」。どっとあふれそうな涙をやっとの思いで堪こ らえる。そう、わたしは重い病にあっても愛の主体だ。泣く必要はない。泣かないでいい。
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Mのメッセージ
「それでも先生なら......」
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朝。ジュヨンは荷物を取りにちょっと帰宅した。看護師が採血をしていく。点滴スタンドを引きずり、病棟の廊下を一周する。戻ってベッドに座り、お湯を飲む。
昨日を振り返ると後悔、明日を見やると不透明だ。その間にあるいま、この時間。ひどく痛むところもなく、深く根差した気掛かりもない、短いなりにわたしに与えられた完全な時間ーーこの時間はわたしが存在する限り消えることなく、この先も存在するはずだ。絶え間なく到来しては留まり、過ぎ去ってはまた近づくだろう。
これが生の真実であり美しさである。
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わたしをぎゅっと抱きしめる。
大丈夫、大丈夫だから......。
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朝の散歩。電線上に鳥たちが音符のように座っている。雨が上がり、高い空が青い楽譜のよう。心の底を見下ろすと、そこにも電線が引かれている。その上には鳥でなく、涙の粒がぶら下がっている。
もしかしたら、泣くことも演奏なのではないか。いまわたしが本当に泣いたら、その涙の粒たちは、鳥のように音符になるのではないだろうか。涙の粒が落ちて、歌になるのでは。飛翔の歌に......。