コラム

標準時を変えれば東京の金融市場はグローバル化するのか?

2013年05月23日(木)12時55分

 猪瀬都知事という人は、奇抜なアイディアを提案するのが好きなようです。特にそのアイディア一つ一つに切れ味があるのではないのですが、イデオロギー的な対立に巻き込まれるのを巧妙に避けながら、既存の論点とは違う発想を出し続けることで「敵を作らずに存在感を維持する」ことに腐心している、姿勢としてはそのように見えます。もっと言えば、前知事から継承した保守票の反感を買わないで構造改革的な方向性を示すような、レトリックの抜け道を狙っているのでしょう。

 その猪瀬知事ですが、今度は「日本標準時を2時間進める」ことを提案しています。現在の日本標準時(GMT、グリニッジ標準時+9時間)では、株式市場の開く日本の朝9時半というのは、オーストラリアのシドニー市場(GMT+10時間)に「先行」されており、2時間早めれば世界で一番早くなって存在感が増すというのです。

 多くの報道ではこれだけの説明しかなく意味不明ですが、実際に猪瀬知事が発表した資料によれば「漠然と世界から注目される」のが目的ではなく、もう少し具体的な戦略があるようです。つまり、欧州やアジアの勤務時間と東京市場のオープンしている時間が「できるだけ重ならない」ようにして、全世界を欧州、北米、日本の3つの市場で8時間ずつ分担し、日本市場がオープンしている時間帯には世界中の債券や株の取引が日本で可能なようにしようというのです。

 例えば、東京の時差を2時間早めれば、東京の朝の9時は香港、シンガポールの午前6時となり、香港やシンガポールから東京市場を「カバー」できなくなります。同様に、現在は東京の午後の時間帯がヨーロッパの夜間に重なっているのが、東京が2時間早くなればヨーロッパから午後の東京市場にリーチすることもできなくなるわけで、結果的に「世界は東京市場を無視できなくなる」、つまりグローバルな金融機関は東京にオフィスを構えざるを得なくなるというのです。

 猪瀬知事は、同時に「明るい時間に仕事を終え」れば、アフターファイブ需要の創出や家族団欒も可能だというのですが、確かに冬時間で言えばNY市場の開く米国東部の9時半は、2時間時計を進めれば日本では午前1時半になってしまうわけです。そうなれば日本の金融関係者も「NY市場の寄り付きを見てから帰宅」とか「NYの早朝会議にビデオ会議システムで参加」などということは不可能になり、諦めて朝型の勤務パターンになるのかもしれません。

 ということで、このアイディアは、前回の「地下鉄24時間運行」よりは多少は「考えた」痕跡が見えます。ちなみに、地下鉄の24時間運行ですが、ニューヨークで可能になっているのは多くの路線が「急行線(エクスプレス)と緩行線(各停、ローカル)」の複々線(一部は三線)構造になっていて、深夜の時間帯は急行運転をやめれば各停を走らせながら保線工事ができるからです。そうしたインフラのない東京の場合は物理的に難しいわけで、事実上不可能と言えます。

 それと比べれば、標準時を2時間早める話については、全く根拠のない話ではないと言えます。ですが、そもそも国際的な金融機関および金融情報サービス企業が、アジアの拠点を香港やシンガポールに移したのにはもっと根本的な原因があります。それは、日本経済の地盤沈下ということに加えて、東京の金融業界では英語でビジネスが進まないという言語インフラの問題が大きいと思います。

 正確に言えば、問題は言語だけではありません。会計基準が国際標準から大きく乖離しているとか、英文の契約書や開示資料の作成コストが高いとか、反対に日本語の書類をたくさん作らされる、あるいは四半期決算が定着していないとか、そもそも「締めた後」に複雑な会計操作をするために決算が遅いなど、経営の根本、ビジネスの基本となる制度に問題があるわけです。人材の問題も大きいと思います。

 市場規模が縮小している中で、そうした特殊性を抱えていることで、東京市場は競争力を失ったのです。こうした点については、今回の猪瀬知事の「標準時+2時間」構想の中でも全く触れていないわけではありません。

 ただ、英語の問題とか会計基準、決算の頻度といった問題は、ストレートに問題提起をしても、ある種「国内派」対「国際派」的なイデオロギー論争になってしまう危険があるわけです。冒頭申し上げたように、猪瀬知事は「イデオロギー論争」から論点を「ずらす」のが好きで、今回の話も「ニワトリが先かタマゴが先か」という話として出しているのだと思います。

 もっと言えば、2時間の変更というのは、根室振興局から先島諸島まで東西に経度で20度以上広がっている日本では事実上不可能であり、真剣な提案と言うよりも「思考実験」として理解するのが正当でしょう。官邸が真剣に受け止めているのであれば、「やり過ぎ」だと思います。

 ただ、「思考実験」であるにしても、肝心の部分、つまり「他市場からカバーできなくすることで、結果的に24時間のうちの8時間を担い、逃げていった金融機関のアジア本部のオフィスを呼び返す」という本論の部分は、ほとんど報道されなかったわけです。結果的に話をひねり過ぎてメッセージとしては伝わらなかった、そう言わざるを得ません。

 やはり日本の金融市場を再建してアジアの金融センターにするというのは、「構造改革」という本筋から攻めないと、いつまでも実現できないと思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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