コラム

「高学歴ワープア」から高校教師というキャリアパスはどうか?

2013年03月22日(金)16時21分

 ここ10数年の文部科学省の「急速な博士号授与数拡大」と「それに伴う研究職の不足」により、博士号を取得しながらも定職につけない人の増加が、日本では問題になっているようです。とてもイヤな言葉ですが、こうした現象を意味する「高学歴ワーキングプア」という言葉も流行語になっているわけです。

 昭和の頃であれば、アカデミアの世界で運に恵まれなかった人は、予備校や塾の先生になるというキャリアパスが機能していました。大変に優秀だけれども、保守的な組織の枠からは「少々はみ出した」という匂いのする人の講義には、若い人の心をつかむ独特のものがあり、同時に内容はハイレベルであったために歓迎されたのです。ですが、この予備校や塾の教師というのは、現在では大変な人気職種であって、それ自体の求人は少ないようです。

 そこで思い浮かぶのが、アメリカでの状況です。アメリカの高校では、毎年秋に新学期が始まると定例の保護者会があります。私の住んでいる学区の高校では、1時間目から8時間目までその子供の取っている科目の「時間割」を子供から渡された保護者が、順に15分ずつの教室巡りをすると、その学年に履修している科目の先生のミニ説明会を全部聞くことができるようになっているのです。

 例えば数学なら数学、物理なら物理の先生の「自分とその授業の紹介プレゼン」をローテーションで一晩(保護者会は夜間に行われます)に8回聞くわけです。アメリカの高校は、教室に先生が代わる代わる来るのではなく、生徒が科目ごとに教室を移動するのですが、その「大移動」を15分刻みで保護者がやるのは、毎年微笑ましくもあり壮観でした。

 そこで聞く先生の自己紹介ですが、最近増えてきたのが以下のようなセリフです。

「私はバイオテクノロジーが専門で、大学はAというところを出て、その後修士を経て博士課程をBという大学で取ったのですが、その際に突然気づいたんです。私には白衣を着てモノを相手に研究をコツコツ続けるよりも、若者たちの教育というヒューマンな場がふさわしいと・・・」

 判で押したようにこの種の自己紹介を何度も耳にしたものです。勿論、「突然気づいた・・・」というのはアメリカ流に「何でも前向きに言う」文化であって、本当は「学位論文が通らなかった」とか「研究職のポジションが取れなかった」というのは明白です。

 ですが、こうした自己紹介を聞くと、親たちは安心するのです。「優秀な先生に当たって良かった」というわけです。子どもたちの感想でも、「博士課程からの転身組」の先生は「雑談でサイエンスの最新の話をしてくれたり」するそうで、教え方も熱心で好評です。中には、博士課程から来た先生のおかげで理系の進路を真剣に考える動機付けができたとか、大学や院では何を学ぶのかイメージしながら進路を考えることができたという声もあります。

 考えてみれば、30代まで勉強し続けた人の活躍の場は、やはり「勉強の世界」であって、仮に大学の研究職に就任する運のなかった人でも、そうした才能を一番生かせるのは高校教師という仕事ではないかと思うのです。博士号保持者なり、単位取得退学で職がなくて困っている人が大量に発生しているのであれば、これは社会全体にとって人材の無駄です。そうした人材の活用法として、高校教師として若い人の指導に当たってもらうのは非常に意味があると思うのです。

 調べてみると、実際に日本でも博士課程から高校教師にという例は少しずつ増えているようです。ただ、まだ動きとしてはマイナーで、中には家族や周囲が「博士課程までやって高校教師というのは勿体無い」などという偏見を持っていて苦労するという話も聞きました。

 とそれはともかく、意欲を持ってやってくれそうな人には、教職課程を簡単に取れる仕掛けを用意したり、指導技術や青年心理のセッションをしっかり受けてもらったりして、ドンドン高校の教壇に立ってもらったらいいのではないでしょうか。

 勿論、高校教師になるのに博士号を要求するというのは「やり過ぎ」で、そんなことは必要ないと思います。ですが、「高学歴ワープア」などという言葉が死語になるぐらいには、このキャリアパスを太くすることは出来ないものかと考えるのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

ニュース速報

ワールド

EU首脳、ブレグジット交渉「第2段階」入りを正式承

ビジネス

歳出最大97.7兆円、新規国債33.7兆円に 18

ビジネス

ビットコインが最高値更新、1万8000ドルに迫る

ビジネス

MRJ受注で初のキャンセルの可能性、イースタン航空

MAGAZINE

特集:日本を置き去りにする作らない製造業

2017-12・19号(12/12発売)

ものづくり神話の崩壊にうろたえる日本。新たな形の製造業が広がる世界

グローバル人材を目指す

人気ランキング

  • 1

    太陽系の外からやってきたナゾの天体、宇宙人の探査機の疑いで調査へ

  • 2

    中国が密かに難民キャンプ建設──北朝鮮の体制崩壊に備え

  • 3

    北朝鮮の消えた政権ナンバー2は処刑されたのか?

  • 4

    習近平、「南京事件」国家哀悼日に出席――演説なしに…

  • 5

    日本の敗退後、中国式「作らない製造業」が世界を制…

  • 6

    「深圳すごい、日本負けた」の嘘──中国の日本人経営…

  • 7

    歴史的急騰が続くビットコイン 仕掛人は意外にも日…

  • 8

    推定500歳!地上で最古の脊椎動物はガリレオの時代か…

  • 9

    北の核実験で広がる「幽霊病」と苛酷な仕打ち

  • 10

    宇宙国家アスガルディア、人工衛星の軌道投入成功を…

  • 1

    金正恩を倒すための「斬首部隊」に自爆ドローンを装備

  • 2

    太陽系の外からやってきたナゾの天体、宇宙人の探査機の疑いで調査へ

  • 3

    推定500歳!地上で最古の脊椎動物はガリレオの時代から生きてきた

  • 4

    EVとAIで人気のテスラ ささやかれる「自動車製造を…

  • 5

    高いIQは心理・生理学的に危険――米研究

  • 6

    中国が密かに難民キャンプ建設──北朝鮮の体制崩壊に…

  • 7

    北の核実験で広がる「幽霊病」と苛酷な仕打ち

  • 8

    「深圳すごい、日本負けた」の嘘──中国の日本人経営…

  • 9

    キャノーラ油で認知症が悪化する──米研究

  • 10

    「ICBM発射映像に炎に包まれる兵士」金正恩が目撃し…

  • 1

    北朝鮮「亡命兵士」の腸が寄生虫だらけになった理由

  • 2

    北朝鮮「兵士亡命」が戦争の引き金を引く可能性

  • 3

    北朝鮮「亡命兵士」の命を脅かす寄生虫の恐怖

  • 4

    金正恩を倒すための「斬首部隊」に自爆ドローンを装備

  • 5

    米朝戦争になったら勝つのはどっち?

  • 6

    「ICBM発射映像に炎に包まれる兵士」金正恩が目撃し…

  • 7

    「英王室はそれでも黒人プリンセスを認めない」

  • 8

    太陽系の外からやってきたナゾの天体、宇宙人の探査…

  • 9

    推定500歳!地上で最古の脊椎動物はガリレオの時代か…

  • 10

    北朝鮮外務省が声明「戦争勃発は不可避、問題はいつ…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

胎内のような、安心感のなかでイマジネーションを膨らませる。
日本再発見 シーズン2
ニューズウィーク日本版デザイナー募集
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版 特別編集

最新版 アルツハイマー入門

絶賛発売中!