コラム

共和党大会に登場したクリント・イーストウッド、賛否両論の背景とは?

2012年09月03日(月)10時36分

 フロリダ州のタンパで先週行われた共和党大会では、ミット・ロムニー候補が受諾演説を行い10万個という風船と紙吹雪の舞う中で、オバマの2期目当選を阻止しようと、党としての団結をアピールしていました。ただ、この党大会で最も話題を呼んだのは、ロムニー候補本人ではありませんでした。

 最も話題になったのは、その最終日の8月30日、それこそロムニー候補の演説の直前に登場したハリウッドを代表する監督兼俳優のクリント・イーストウッドの「スピーチ」でした。大会が終わり、人々の関心が翌週の民主党大会に移りつつあるこの週末も、まだネットメディアなどを中心に賛否両論が続いています。

 クリント・イーストウッドの作品を見たことがある人なら、そこある強烈な「正義感」とか、その延長での「弱者への誠実な視線」あるいは「腐敗した権力への厳しい眼差し」を感じると思います。一見すると、その「思想」はリベラルの側に属するようにも見えるのですが、実は彼の思想は、共和党のカルチャーのある側面を代表しているのです。

 イーストウッドの思想というのは「連邦政府の極小化」を主張するという、いういわゆる「リバタリアン」に属しています。歳出の肥大化に反対し、税の極小化を求めるというのは共和党の核にある価値観ですが、これを極端にまで推し進めるのがこの思想で、ここ数回の大統領予備選で、一定の支持を獲得してきたロン・ポール下院議員などが代表的です。

 ポール議員のアプローチは、孤立主義の観点からアメリカは国際間の紛争に関与すべきではないとか、健康保険制度は「相互依存」だからダメだというように、一国主義や反福祉などを売り物にしています。ちなみに、ポール議員の名誉のために言えば、医師でもある彼は、健康保険に未加入な貧困層に対しては自主的に無料診療を続けていたりするのですが、そうした「心意気」が一見すると荒唐無稽な「リバタリアニズム」に説得力を与えているわけです。

 ただ政府の機能を制限する余りに社会が無秩序状態になってしまっては大変です。これに対するクリント・イーストウッドの立場は、個々の人間が倫理的であれということです。つまり「スタイリッシュなリバタリアニズム」あるいは「道徳的なコミュニティ思想」とでも言うようなものです。とにかく国家権力は個々人の価値観や行動に介入すべきでないとして、その代わりに個人の側から自主的に秩序を形成すべきだというのです。また、仮に政府が何らかの権力行使を行う場合は、個人以上に高い倫理性が求められるというのです。

 例えば、彼の作品では倫理的な観点からの権力への批判というのは大きなテーマになっています。アンジェリナ・ジョリーを主役に起用した『チェンジリング』では、ロス市警とロス市役所の腐敗に対して手厳しい描写をしていますし、「硫黄島2部作」の中のアメリカ側の視点の方である『父親達の星条旗』ではプロパガンダに利用された兵士達の苦悩を描く中で、権力への倫理的な批判を徹底しているわけです。

 ところで、このクリント・イーストウッドは、21世紀に入ってからの「9・11へのリアクションと草の根保守の時代」には距離を置いていました。近年の傑作群、例えば『ミスティック・リバー』にしても、『ミリオンダラー・ベイビー』にしても、そこに流れる思想は「ブッシュの共和党」に対しては距離を置く、いや厳しい批判を含むものだとすら言えるのです。
 
 例えば『ミスティック・リバー』の場合は、「神の不在の先にある神の実在」というような抽象的な境地を描き出しているようにも見えます。ですが、そのウラには「被害感から復讐心に走り、その結果として誤った敵への復讐をしてしまう人間の愚かさ」を描き出しているとも言え、ポスト9・11の世相の中でのイラク戦争、アフガン戦争への根源的な批判という含意も見えます。

 また『ミリオンダラー・ベイビー』の場合では、イーストウッド自らの演じた老トレーナーの醸し出す静謐感は、それ自体が宗教的な境地にも見えますが、安楽死の肯定とか「キリスト教の教義への疑問」といった表現は、明らかに宗教保守派とは一線を画すものでした。こうした社会価値観という面では、彼の思想は過激なまでに中道主義だとも言えます。

 そんなわけで、そのクリント・イーストウッドが共和党大会でスピーチをするというのは、ある意味では画期的なことです。この企画の背景には、2月のスーパーボウル全国中継に当たって、クライスラーが彼を起用して作ったCFが大評判になったということが恐らくあると思われます。自動車会社のCFでありながら、デトロイトの苦境と復活を描く中で「アメリカは今ハーフタイムだ。後半戦はこれからだ」というイーストウッドの渋いスピーチは、全国で絶賛されました。「あんな感じなら最高」という期待感があったということは容易に想像できます。

 もう1つには、現在の「ロムニーの共和党」というのが、イーストウッドの嫌った「ブッシュの共和党」とは明らかに一線を画しているということがあります。例えば、2004年や08年の予備選にチャレンジした、ニューヨークのジュリアーニ前市長は「銃規制には賛成、同性愛者の人権を承認、女性の妊娠中絶の権利を肯定」ということでは「真性保守」ではないとして、ボロボロになるまで叩かれたわけです。ですが、今回の党大会に1人の党員として出席していた前市長は晴れ晴れとした表情を浮かべていました。気がつくと「草の根保守の怨念」は共和党からウソのように消え失せ、中道のロムニーを大統領候補にして、孤高の中道主義者イーストウッドが支持をするという時代になったのだと思います。

 ところで、イーストウッドのスピーチは「空の椅子」を横に置いて、それを「オバマ大統領」に見立てて「私もあの就任式の時は期待した口なんですがねえ・・・」などとチクリチクリと現職批判をやるという、出来損ないの一人芝居というか、落語のような妙な「芸」でした。オバマ批判では一貫していましたが、イラク戦争やアフガン戦争への「全面否定」を盛り込むなど、かなり計算された「芸」だったとも言えます。「ハーフタイムのアメリカ」というCFのシリアスな「ノリ」を期待した向きを、彼は「わざと」裏切ったのかのようです。

 私は、それはそれで十分に面白いと思ったのですが、リアクションとしては賛否両論いろいろあるようです。批判としては、アドリブの芸が危なかっしくて「真剣味が欠ける」という声が多いのですが、ホンネの部分では「やっぱりユニーク過ぎて、ホンモノの保守主義ではない」という嫌悪感も出ているようです。9月2日には共和党大会を2分にまとめたダイジェストの公式ビデオクリップが発表されましたが、イーストウッドのシーンはカットされていました。

 ですが、それはそれとして、保守の人たちは「中道に寄りすぎたイーストウッド」に批判の矛先を向けても、誰もロムニーのことを「やっぱりアイツは中道だ」という批判はしなくなっているのです。その意味で、イーストウッドの「危なっかしい落語」は効果があったのかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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